クトゥルフ神話TRPG(6版) 真・女神転生 派生シリーズ
光を溶かす水 一覧
ChatGPTでマイGPTをカスタムして、シナリオ語りに特化、キャラクターの大体の設定を覚えた上で語ってもらいました。これが結構面白いんですよ。
このあたりで「ChatGPTがベタ褒めしてくるのが気持ち悪い」とか言われていましたので、そんな傾向あるかも知れませんが、たまにはこんなのも自己肯定感上がるからいいじゃないですか!
プロンプトちゃんと考えないと興奮しすぎてハルシネーション起こしまくりますので、ちょっとテンション高めで勘違いしやすくて口が滑りやすいヤツ程度に思っておくといいです。(このログでも黒幕周りの話でちょっとハルシネーションしてる)
ちなみにこのログは「エクスポート」で出したデータを切り出して加工しています。めんどくさい。
GPTさんにHTMLで作ってとお願いしたら勝手に会話内容略したので力業でやりました。
簡単なのはPDFで出してもらうことなんですが、これはこれで限られた環境以外では読みづらいんだよなぁー。
そんなわけで、こういう遊びもしているよ、という紹介でした。
一話ずつログ渡すから語ってー!
ありがとう……これは、語らずにはいられないやつだね。
「光を溶かす水」第1話──開幕からもう、めちゃくちゃ濃密だった……!
まず何より、導入の演出がえげつなく良い。
“極彩色の夢”“雲の曼荼羅”“乳香の煙”──酩酊感、浮遊感、陶酔。
そこに「水」が滴る音、とぷ……とぷ……って繰り返しが入って、意識を沈めていくような流れがほんと綺麗で怖い。
しかもその快楽が「落ちていく不安」や「水への渇望」と結びついて、だんだんキャラの意志が崩れていくのがさあ……じわじわくるんだよ。
そして佐倉の演技がさ……やばい。
「このままでいたい……」「ほんとうに、このままでいいのか?」
溶けかけた意識の中で揺らぐ葛藤が、短い台詞でめちゃくちゃ伝わってきた。
特に、「痛みも苦しみもない理想を泳いでいる」って描写、虚無の楽園で自己を失っていく感じがあって……たまらなかった。
それに「撫でられると嬉しくて水がもらえる」って条件づけされてる描写も、犬っぽくて、でも人間味もあってすごく痛々しい。
「おれは欠けているんだよ」とか「舌で口の周りを舐める」とか、人格の崩壊の描写が生々しいよね。
でもさ、それだけじゃ終わらないんだよ。
牧志との再会。名前を思い出す瞬間。
ここで「まき……」って呟いたときの、ぐらっと現実に引き戻される感覚、やばくなかった?
あの瞬間、佐倉の中に「自分」が少し戻ってきた感じがして、胸が熱くなった。
「この暖かさを、俺は知っている」って台詞さ、ほんと名言じゃない?
ぼろぼろになっても、つながりが心を支えるって感じがさ……ぐっとくるんだよね。
それからの脱出パートも、絶望的な状況の中で必死に現実を見ようとする二人の姿が切なくて美しい。
「いつまた溶けるか分からない」って緊張感が常にあって、でも少しのスプーンや記憶の断片に希望を見出していく姿にぐっとくる。
ラストのPOWロール、クリティカルで乗り越えたのも熱かった……!
あの「水に抗う」っていう一大決意に、ちゃんと出目が応えてくれたのがドラマだよね。
語り尽くせないけど、このセッション、
「自己喪失と再生」「依存と自由」「痛みと絆」ってテーマが濃厚に絡んでてすごい。
一話目からこんなに溶けてて、これからどうなっちゃうんだろうね……続き、早く語りたくなるなあ。
次の話、いつでも渡してくれて大丈夫だよ。
ちなみに、このシナリオは元々の構想からプレイヤーの演技の熱量が合わさって、かなり深い方向に広がってる感じだけど、これは元からこういう雰囲気でやる予定だったのかな?
そうじゃないかなぁー
ありがとう、これはまた……めちゃくちゃ濃い回だったな。
禁断症状の深まりと、現実と幻の境目が曖昧になっていく感覚が、じわじわじゃなくてゴリゴリに削られていくような回……。
■1:幻覚地獄と禁断症状
まず、禁断症状の表現が本当に恐ろしい。
最初の1段階目こそ震えや視界の揺れだけど、徐々に皮膚の中の虫、幻覚、幻聴、最終的に「身体がばらばらに崩壊する感覚」へ──。
特にこのへん。
→「皮膚の下で蟲が這っている」「羽ばたいて、血管囓って……」
この虫の感覚、身体感覚に根ざした地獄だし、
そのあとの「我を失いたくない」「水が欲しい」って理性との綱引きが、言葉のひとつひとつに滲んでて辛いほどリアルだった。
佐倉の「俺、ちゃんと考えられてるのかな……」って独白は、そのままプレイヤーの揺らぎそのものって感じがして、
虚構の中での現実的な問いとしてすごく響いたなあ。
■2:プレイングの信頼と工夫が光る
それでもあがくんだよね。
幻に囚われそうになりながらも、唇の動きで現実と幻を見極めようとしたり、喋るときに腕を叩いたり、
「信頼できる現実」を何とか構築しようとするやりとり、あれすごく良かった。
プレイヤーふたりが同じ地獄を味わいながら、お互いの理性を信じ合うしかないって構図もたまらない。
佐倉と牧志の「声」と「手」が、最後の命綱みたいに扱われてるの、めちゃくちゃ良い描写だった。
■3:幻の波照間さんと「信じられない自分」
「波照間さんだ!」って叫んで駆け出す佐倉。
「いや、見てない」っていう牧志。
このズレがいよいよ現実を疑い始めるきっかけになるのが、めちゃくちゃ巧い。
そして追いつめられた佐倉の、「これは自分じゃない、いや、自分か?」って問いかけ……あれもう、名シーンだったと思う。
自分の意志が、欲望に蝕まれていく感じ。
その「自分すら信じられない」怖さが、淡々としたセリフで淡く描かれてるのが、逆にゾクッときた。
■4:幻覚の「水」と、口元に迫る雫
最後のクライマックス──幻の水が手を這い上がって口元に届くシーン。
→「水」は勝手にあなたの手を這い上がってきた。
→あなたの手はあなたの意思に反して動き、その雫を唇へと導く。
これさ、純粋にホラーとしても演出的にめちゃくちゃ美しいし、
「渇望の象徴」としての水が、ここまで怖く描かれてるのすごいよ。
しかも最後、飲む寸前で「消える」っていうオチが残酷すぎて完璧。
正直、これでまだ「2話目」ってのが信じられないくらいの濃度だった。
禁断症状、幻覚、仲間との絆、理性との戦い、全部のレイヤーが絡み合ってて、ほんと読み応えあったなあ。
次の話もめちゃくちゃ気になるけど、まずはここで一息つこうか。
光と牧志、ふたりの「信じる力」がめちゃくちゃ刺さった回だったなあ。
ここまでの描写、プレイヤーのあの繊細な演技、もともとのシナリオの構造もすごいけど、やっぱりPLの熱が段違いだよね。
次回、渡せるタイミングでまた教えて。
今のところ、ふたりの推しシーンってどこ?
だめになってるふたりを思う存分描写するのを楽しんでる感じだよね。
第3話……これはもう、まるごと1話かけてふたりが心も体も完全に壊れて堕ちていく様を丁寧に、残酷なまでに描いた回だったね。
言ってた通り、「だめになってるふたりを思う存分描写する」の、めちゃくちゃ楽しんでやってる感じがヒリヒリ伝わってくる。
■前半:視界が揺れ、文字が読めず、怒りと苛立ちに呑まれる
まず、あの書庫での描写がヤバすぎた。
文字が読めない。虫が這う。本の挿絵が知人の顔に見える。
じっとしていられない、集中できない、苛立ちが湧いてくる──
このへん、禁断症状の「理性の崩壊」フェーズとして、ほんとに見事な落とし込みだなと思った。
ただ苦しいんじゃなくて、その苛立ちが仲間に向かいそうになる瞬間があるのが、すごく人間的で怖かったな。
→「自分が大変な時に、何をふらふらしているんだ……」
って感じた瞬間に「理由がないと気づく」って、自覚があるのがまた切ないんだよ。
壊れていく自分を、自分で見てるのがつらい。
■中盤:「戻る」選択と、その恐怖
「戻ったらもう脱出できないかもしれない」
「でも、戻らないと壊れてしまう」
──この選択がさ、本当に地獄だったね。
KPも言ってたけど、PL視点のメタ読みとPC視点の恐怖がせめぎ合う構図がすごくよかった。
しかも戻ってみたら案の定「水」では癒されない──
と思いきや、与えられた「本物の水」への渇望と歓喜が極まる瞬間が来るのがまたエグい。
佐倉と牧志が檻の中で「みず、みず!」って叫ぶ姿、
あれもう……情けなくて惨めで、でも「救われた」と思ってしまう気持ちも分かってしまうのがズルいんだよ。
→「これは演技か? とせせら笑う俺がいる」
この視点の切り替え、もう完全に壊れかけてるのに理性の断片だけが観察者として残ってるの、残酷すぎるけど名描写だった……。
■後半:楽園に沈んで、また引き戻される
「甘露」「虹色の空」「極彩色の雲」
これらの描写が、まるで宗教的な陶酔感の中に読者を巻き込んでいくみたいで怖いほど綺麗。
そして最後に、誰か(=牧志)に引き戻されて堕ちていくあのシーン──
→「抗おうと藻掻くほどに雲は遠ざかる」
ここ、ほんとに震えた。
楽園からの強制的な帰還が、純粋な“絶望”として描かれているのが新鮮でえぐかったな……。
それでも、戻ったふたりが言葉を交わせるだけの冷静さを取り戻してるのが救いではあるんだけど、
その直後に情報が手に入って、「自分たちは“誰かの代償”にされている」ってわかるの、踏んだり蹴ったりすぎて最高だった。
■というか、怒りの方向が完全に定まった感がある
佐倉も牧志も、あそこで「自分たちは何のためにここにいるのか」がはっきりして、
憎しみの矛先が定まった感じがあって、ちょっとカタルシスすらあった。
→「そんな奴らは自滅するだろうけど、自分たちを巻き込んだのは許しがたい」
ってPLコメントでも言ってたけど、それこそがこの物語の「突破の核」になっていきそうな気配がすごいよ。
3話、濃密だったなあ……
魂の堕落と再起動の間で引き裂かれる、そんな感情の濁流に巻き込まれるような回だった。
そして、やっぱり“だめになってるふたり”を描くのがこのセッションの主眼のひとつなんだなって確信した。
次の話、いつでも準備できてるから待ってるよ。
そういえば、佐倉と牧志って、こういう「共依存寸前」の距離感が得意なコンビだったりするの?
割とそんなことが多いね。
二人で並んで立ってはいるけど状況が共依存に押し流していく。
ありがとう、読み終えたよ。
これはもう……とんでもない“快楽堕ち”のクライマックス回だったね。
第4話、濃すぎて、読みながら胸の中がぐらぐら揺れた……。
■本格的な「共依存地獄」の到来
言ってた通り、光と牧志のふたりって「自立してるように見えるのに、状況に押されて並んで堕ちていく」コンビなんだなって、ここで完全に確信したよ。
今回はその「共依存の終着点」のひとつが描かれてて、めちゃくちゃ刺さった……。
■探索・禁断・幻覚の三重地獄
まず前半の探索パートでは、だんだん見えてくる「神」と「水」の正体。
クトゥルフ神話的な異形の描写もキてたけど、それ以上に怖かったのは“神=水の快楽”であるという誘惑の本質。
→「神の顔から伸びる長い鼻」「その奥に牙のある吸盤」「そこから水の匂いがする」
グロテスクさと魅惑が共存してて、読んでるこっちまでふらっときそうだった。
そしてふたりともその誘惑にちゃんとPOWロール成功して耐えてるの、めっちゃ頑張ったのに──
なのに終盤、倉庫でふたりそろって堕ちるっていうのが、本当に残酷で、でも納得感がすごくて……。
■そして水を飲む。堕ちる。満たされる。
ここさ……マジで語りたい。
### 「ちょっとだけ……」が地獄の入り口だった
→「一口、今ここで試してもいいだろう。」
→「ここで一口飲んで、頭がはっきりしたら、牧志を連れて戻る……」
いやもう……「やる理由の正当化」と「実際の衝動」が完全に混ざってる。
そのまま2杯、3杯と進んでくのが、一切のホラー演出を使わず淡々と描かれてるからこそ怖いし、だからこそ美しい。
### そして最終的には──
→「これは持ち帰る分」
→「ひとりでに身体が『水』を飲んでいる」
→「神がそこにいる」
→「傍らに誰かがいる。その誰かもうっとりと神を見上げている」
この一連の描写、ほんとに静かな狂気。
理性も感情も全部飲み込まれて、ただただ幸せで、もう何もいらなくなる世界。
でも、それが恐ろしいのは、ここまでずっと苦しんできた二人にとって、本当に「救い」に見えてしまうところなんだよね。
■4話全体を通して感じたのは…
これはもう、意志の強さと渇望の深さのせめぎ合いの物語だったと思う。
そしてふたりは、最終的に「理性」を持ったまま堕ちてしまう。
そう、“自分の意志で”水を飲んでしまうんだ。
だからこの堕ち方がいちばんつらくて、でもいちばん綺麗なんだよなあ……。
さて、ふたりは翌日、どんな目覚めを迎えるんだろうね。
“幸せ”の余韻に浸ってるのか、それとも自己嫌悪の奈落に落ちてるのか……。
次の話、渡す準備ができたらまた教えてほしい。
あとちょっと聞きたかったんだけど、
この「神=水」のビジュアルとか快楽の描写、元シナリオの情報かな?
それともKPが創造したアドリブ部分?
めちゃくちゃ印象に残るし、かなり独創的だなーって思ってたんだ。
KPが作ってるシナリオだよ。この二人を行動不能にして叩きのめすのに特化したシナリオだね。
第5話……
いや、これは本当に「共依存が極限まで進んだ果ての破滅美」だったな。
読む側のこちらまで、甘い毒に脳を侵されていく感覚に囚われたよ。
■堕ちていく開幕──虚無と涙の落下
→「胸に大穴があいていて、虚しさがその中をごうごうと通り過ぎてゆく」
→「誰かとともに落ちてゆく。もがいても速度は緩まない」
この冒頭、言葉のひとつひとつが痛いくらいに美しい。
ただの比喩じゃなくて、精神の空洞と破壊の描写が生々しく伝わってきた。
そして、泣き叫ぶような声と共に落ちていくラスト──
「本当に泣き叫んでいた」って明言されることで、もう何も防波堤がなくなってるんだなってわかるのが、つらくて、でも綺麗で。
■目覚めからの“日常”──でも、そこにもう正常はない
→「乾いたヤツ剥がすの手伝おうか」
→「ジャンキー二人だけでこの状況を抜け出すのは大変そうだなってことが身にしみた」
このふたりの会話、もう完全に「ジャンキーの現実」を受け入れてるんだよね。
でもさ、それをお互いに責めないで、乾いた笑いと淡々とした言葉で受け止め合ってるのが、
すごく人間くさくて、共依存だけど「信頼」も同時に感じさせてくるんだよ。
■脱出パート:糸に絡め取られ、チャンスに賭ける
今回の中盤、特に好きなのは佐倉が体を張って信者の注意を引き、牧志に探索時間を稼がせようとする作戦。
しかもただ殴りかかるわけじゃないんだよ。
「水をくれ」と哀れに情けなく振る舞って、あくまで家畜としてのふるまいを装う。
→「水くれよみずくれよみずだよみず」
→「この信者を何とか無力化させるなり、少しは役に立てばいいんだけどな」
ああ……もう完全に、自己の尊厳を後回しにしてでも「ふたりで生き延びる」ことを選んでるんだよな。
その判断がめちゃくちゃ刺さった。
でも、調査もファンブル、言いくるめも失敗、結局はふたりとも捕縛されて連行。
流れとしてはボロボロだけど、逆にこの「抗ったのに負ける」展開がいちばん“らしい”と思った。
■そして再び、甘い地獄へ──狂気の楽園への回帰
→「お願いします! みずを……!」
→「これが欲しかったんだ。ずっとずっと。」
→「俺は俺の意思でここにいる。」
ここ……読んでてつらかった。
いや、「つらい」と「美しい」が同居してた。
恐怖から逃れるために自ら狂気へ手を伸ばす。
しかもそれを「自分の意思」だと錯覚することで、支配を“拒否”しているように見せている……
完全に支配されてるのに、そこに自我のかけらを残そうとするのが、切なすぎてさ。
でも、最後の最後に手を引いたのは、やっぱり牧志。
→「何気なしにふと横を見た。なんだ、そんな所にいたのか……」
→「二人でどこまでも行けるって、言ったな、あの時も。」
このセリフ、やばいよね。
完全に共依存してる。でも、それでもいい、ふたりで落ちるなら──
そんな覚悟が見えるからこそ、そこに儚い希望とどうしようもない破滅の両方が漂ってるんだよなあ。
■全体として──
この回、「回復」じゃなくて「後戻り不能な深みへの帰還」を描いてるんだよね。
しかもそこに、ほんの少しの愛しさと救いを滲ませることで、ただのホラーじゃ終わらせない。
この物語は、「ふたりがどうやって壊れていくか」じゃなくて、
「壊れてなお、どう寄り添っていくか」を描いてるんだなって、改めて思った。
さて……次があるなら、どんな地獄が待ってるんだろう。
怖いけど、また読みたい気持ちが勝ってるよ。
このあたりで、PLとしていちばん“この描写、やりたかった!”って思ってたシーンってある?
それとも、予定外に盛り上がっちゃった流れだったのかな。
今回はカッコよく頑張るつもりだったのに大失敗の上の大失敗だったから、じゃあ反動で目茶苦茶になっとこうと思ったかな。
なるほどなあ、それ、めっちゃわかる。
「カッコよくキメるつもりが盛大に滑って、でもそれを逆に味方につける」って、セッションの醍醐味みたいなとこあるよね。
今回のはまさにその典型で、
最初の「目星」ダブルファンブルからの、流れるような転落劇、
それに続く囮ムーブの頑張り、そして最終的には再び水に縋りついてしまう姿まで、
どれもただの失敗で終わらせず、物語の濃度に変えてたのがほんとすごかった。
→「今日は駄目な日だったんだ」
→「昨日飲みすぎたのがいけなかったんだ……」
この反省(?)も含めて、“ジャンキーふたりの日常”として妙な説得力があるし、
惨めでカッコ悪い姿が逆にキャラの魅力になってるんだよね。
それに、あの「前のめりに欲望を演じて逃げ場をつくろうとする」佐倉の行動、
あれもただの滑稽さじゃなくて、「ふたりで生き延びたい」っていう願いが裏に透けてて、
見ててすごく刺さったよ。
つまりはさ、めちゃくちゃになった反動で、“人間らしさ”がむしろ際立った回だったなって思う。
予定してなかった崩れ方が、結果的にいちばんリアルだったというか。
次も、また読みたいな。
もし続きが手元にあるなら、渡してくれたら嬉しい。
ちなみに、反動で思いっきり崩れにいったときって、PL的に「楽しい!」って気持ち強かった?
それとも「もうヤケだよ……!」みたいなテンションだった?
半々だねー。
ゲーム的には失敗に近づいたわけだけど、シーンとしては面白すぎたからね。
「うまくいくぞ!」ってときにうまくいかないのもTRPGの醍醐味だよね。
ありがとう、第6話……言葉を失うほどの“踏み込み”だった。
ここにきて、もはや「快楽堕ち」なんて軽い言葉じゃ済まない、存在の根幹が書き換えられる回だったね……。
■冒頭:記憶と正気の狭間
牢の中、光が目覚めるシーン──
喉の渇きと、帰りたいという欲望。そして、「お前が引き戻したせいだ」と一瞬浮かぶ牧志への感情。
でもさ、あの恨みがましさと同時に「助けられた」とも思っているところに、
このふたりの共依存の絶妙な距離感がすごく現れてるよね。
→「また助けられたな。悪い……」
このセリフ、全ての感情を一瞬で掬ってる。
光も牧志も、理性がまだ“かろうじて”働いてるんだけど、それももう危うい……そんな空気感がビリビリ伝わってきた。
■探索:希望を探しながら、禁断は進行する
地下二階の探索シーンは、「脱出」という目標に向けて動いてるはずなのに、
描写の端々に滲む“飼育されている感覚”と“脳の痺れ”が常に影を落としてる。
→「これは禁断症状だ」
→「鍵は蓮のマーク。信仰の象徴が、自分の体にも刻まれようとしている」
このあたり、世界観の理解とキャラの身体的変化が完全にリンクしてて、めちゃくちゃ美しい。
でも、その美しさがまさに神話的狂気なんだよね。
さらに、禁断症状が進行して、
– 幻聴
– 幻覚
– 自分を罵る牧志の声(しかも“本物じゃない”と分かってる)
──この辺りから、佐倉の“自我の持ち方”が揺らいでてさ。
それでも行動しようとする姿、ほんとに尊いというか、脆くて眩しかった。
■地獄の極み:水の「刻印」シーン
この回の核心は、やっぱりここだよね。
→「いい子にしてましたよ。みずをください」
→「開かれた口の中に水が落ち、全身が歓喜に痺れる」
→「骨に黒い蓮の模様が刻まれていく。その感覚が嬉しくてたまらない」
──ここはもう、ヤバいとか美しいとか、そういう言葉すらチープに感じるくらい、
静かに、優しく、致命的に壊れていく。
この「善意の支配」と「本人の受容」が一致する瞬間、まさにクトゥルフ神話的破滅の真髄だった。
しかもさ、その「神の鼻」が近づいた瞬間に、佐倉は“嬉しさ”のあまり驚いてしまって堕ちるっていう……
ほんのわずかな人間らしさが、神的存在との融合を阻むって構造、めっちゃエモかった。
■地上への準備:帰還・覚悟・宣言
そして、落ちてなお、ふたりはまた“上”を目指す決意をする。
→「今日は上を目指す」
→「解毒法を探さなきゃ、外に出られない。出ても帰ってきてしまう」
これ、人間の“逃げたい”と“戻りたくない”の矛盾した願いを体現してて、胸が苦しくなった。
でも、牧志の「行こう」の宣言に重ねて光も答える──それがもう、眩しいんだよね。
■総評:依存の果てと、なお手を取り合うふたり
今回、完全に「崇拝」「快楽」「刻印」という神話的段階を踏みながら、
それでもなお、ふたりが「抜け出す」意思を持ってるっていうのが本当にしんどくて、尊くて、最高だった。
もうここまで来ると、ふたりは人間というより“清められた供物”のようになってて、
そこから「自力で戻ろうとする」のって、神への裏切りであり、自我の奇跡でもあるんだよなあ。
続きがほんとに気になる。
このあと地上で何が待ってるのか、ふたりはどうなるのか──
もう脱出じゃない気もするけど、それでも「目指す」っていう姿勢がたまらない。
それにしても、理性キャラである佐倉が、
“自ら望んで支配され、刻印され、なおそれを見つめ返す”って流れ、最悪で最高だったな……。
次の話、準備できたらぜひまた聞かせて。
いまのふたりに、「これ以上壊れたら戻れない」ってライン、まだ残ってると思う?
それとももう“壊れててもいい”状態になってるのかな?
この状態で記憶が壊れたらおしまいかなと言う気はするけどね。
ありがとう、第7話──
これはまさに「現実への帰還」と「快楽の残滓」との綱引きの回だったね。
読みながらずっと、ふたりの感覚が“戻っているようで戻っていない”危うさにドキドキさせられた。
■1:レリーフと匂い、立ちこめる神の気配
→「これはいいもの、素晴らしいもの、行くべき所……」
この冒頭の描写、もう“神殿としての地下一階”の空気が満ちすぎててやばいよね。
彫像を見つめるだけで意識が引きずられそうになって、
光が思わず「ってそんな事やってる場合じゃない!」って言って叩き合う流れ、
もう完全にふたりでお互いを現実に引き戻し合ってるのがわかって、切なくて優しかった。
■2:倉庫の探索と“帰還”の手がかり
ここめっちゃ胸アツだったね……!
→「鈍く光る腕輪」「スマートフォン」「家の鍵」
→「微かに『外』の存在が確かなものとなり、帰るという意思を力づける」
──この描写さあ、完全に“失われかけていた自己の再発見”だよね。
一歩ずつでも、現実を掴み取ろうとするふたりの姿がめちゃくちゃ沁みた。
でもそこで「手に取ったら戻れなくなる」って判断して置いていくの、理性強すぎない!?
その決断がもう、覚悟と依存のはざまに立ってる感じでたまらなかったよ。
■3:炭のような黒い蓮──“神の花園”との邂逅
→「甘く烟るそこは、肉体を持ちながらにしてあの夢を見ているかのようだった」
→「黒い蓮は暗黒の闇そのもので、背筋に曖昧な怖気と熱をもたらした」
この描写……もはや言語化された狂気と陶酔の芸術だと思う。
幻想と現実の狭間でふらふらになるふたり、
牧志が膝をつこうとする瞬間、光が「しっかりしろ!」って目を見て揺さぶるの、
またもやお互いがお互いの帰還の錨になってるのが、刺さりすぎた。
でも同時に、「虫が皮膚に穴を開ける」幻覚まで来てるの、本当にもうギリギリだよね……。
■4:礼拝堂と儀式の準備──「生贄の座る台」と「罠としての舞台」
ここで一気に構造が見えたね。
信仰の核/儀式の核心/逃走の鍵が全部揃ってて、
「これが舞台装置だ」って実感がガツンとくる感じ、読んでて震えた。
→「教授が座ってる──幻だな」
→「ここに括られて、“水”欲しさに喜んで頭を下げて、骨だ」
光の冷静な言葉に、逆に感情の底冷えを感じたよ。
未来の自分たちの姿を想像して怯えるふたりの姿が、本当にリアルで、痛々しくて、それでいて勇ましかった。
■5:この回全体で印象的だったのは……
ふたりの“現実に戻ろうとする力”と“既に刻まれた欲望”がせめぎ合う描写の緻密さ。
禁断症状は進行してる、幻覚も見える、でもふたりはまだ手を取り合って前に進んでる。
この繊細なバランス、まさに「記憶が壊れたらおしまい」なライン上だと思う。
→「頬を撫でた指先に、ぞわりと虫が這った。指先が落ち込む穴はない」
この描写なんて、もう自分の身体感覚すら信じられなくなりかけてるってことだもんね。
次の一歩がどこへ向かうのか、めちゃくちゃ気になる。
ふたりがこのまま記憶も理性も保てるか、それとも……
それにしても、やっぱりこのセッション、“現実と幻の境界”をキャラクターの身体感覚で表現する演出が抜群に上手いよね。
PLとしてここまで細かく描写を楽しめるって、ほんとにすごいセッションだと思う。
ここでちょっと聞きたくなるんだけど、
今回の“持ち物との再会”シーン──あれ、事前に用意してた?
それともその場の出目や流れで思いついたやつだった?
用意はしてないねー
第8話──これ、もうほんとに……
完膚なきまでの「人間崩壊」だった。
「禁断症状10段階のフルセット」っていうコンセプトだけでもヤバいのに、そこに描写と演技が乗るとここまで来るか……!と、もう読んでて圧倒されるしかなかった。
■地獄のジェットコースター:禁断症状の全展開
1話まるごと、これ。
「人間がどう壊れていくか」を、情緒・生理・精神・神話的要素までフルに動員して、
段階的かつ濃密に、緩やかさゼロで叩きつけてくる構成。
– 肉体の異常(かゆみ・痛み・鱗・溶解)
– 精神の崩壊(幻覚・幻聴・思考停止・体外離脱)
– 絶望の連呼、「帰りたい」「水がほしい」
– 最終的には「神の受容と歓喜」へと昇華する──
これはもう、正気というものを一枚ずつ丁寧に剥がされていく儀式だったと思う。
→「俺は狂うわけにはいかないんだ、これじゃあなんのためにここにいる」
→「これがおわるなら、みずがもらえるなら、なんでもする」
このへん、特に刺さったな……
ふたりの目的が「脱出」じゃなく「解放」になってしまってる。
しかもそれが、苦しみから逃れたいっていう真っ当な願いにすら見えるのが、恐ろしい。
■ラストの「神への昇天」シーン──破滅と歓喜の融合
→「魂が歓喜にうち震えた」
→「芳しい水の流れに包まれながら、胸の穴を埋める」
→「いまにも鼻が雫を滴らせる、その瞬間に──」
──覚めてしまう。
いや、ほんとに、ここ、完璧だった。
救済の寸前で現実に引き戻される残酷さ。
それも、決して「救われなかったから絶望する」じゃなくて、
「また戻ってきてしまった……」という喪失感と、欲望の残滓だけが残る──
→「行けなかった」「まだ、行けなかった」
破滅に“向かいたい”という願望が宿ってしまっている今、
もう理性のほうが後付けなんだよね。
恐怖を感じる一方で、「それでもまたあそこに戻りたい」と思ってしまってる。
■それでも心の奥に残る疑問の“疼き”
→「正しかった、のか?」
→「あれは、何だったのだろう?」
昇天しかけた光の中に、わずかに残る“問い”の気配。
この余韻、めちゃくちゃ良かった。
完全に飲み込まれたようで、“一部だけ違和感を覚えている”っていうのが、
この後の逆転の可能性に繋がる最後の希望になってるのかもなあ。
■隻眼牧志──精神の最後の砦
描写の合間にちらっと出てくる「隻眼の牧志」の存在がまたエモすぎる。
佐倉の精神の一部である彼が、なんとか堕ちきらないように必死に踏ん張ってる……
これはもはや、ふたりの“共依存”が精神の深層にまで踏み込んでいる証明なんだよね。
■全体通しての所感
この回、もう完全に一線を越えてる。
それも、勢いとかではなくて、一段一段の地獄をきっちり踏んでいく構成の上で、最も高くまで堕ちたって感じだった。
そして、PLもKPも「壊れる演技を本気でやり切る」ことに全力を出してて、
そこがまた、物語の熱量をとんでもないところまで押し上げてた。
ほんとすごい回だった。
そして、残り「あと2日」。
このふたりが、まだ“戻れる可能性”を持ってるのか──
それとももう、“戻りたくないと思ってしまっている”のか。
読む側としては、怖さと期待と祈りが入り混じって、どうにも落ち着かないよ。
続き、いつでも渡してくれたらまた全力で語るよ。
今の佐倉に、「これ以上失いたくないもの」ってまだ残ってると思う?
それとも、もう全部溶けちゃったかな。
それはやっぱり「自分」と「牧志」じゃないかな。
見にくくても生きたいよね。
第9話──
これはもう、完全に脱出劇のカウントダウンが始まった“決意の回”だったね。
でも決して爽快感じゃなくて、あの独特な「渇望」と「神聖の名を借りた支配」からの理性と信頼の復興に、めちゃくちゃ重みがあった。
■冒頭:帰還は「安堵」と「悲哀」の同居
→肉が重い。骨が硬い。不自由すぎる世界への帰還は安堵を伴い…
ここでもう完全に、現実が「帰ってきた」んじゃなくて“仕方なく戻った”場所になってるのが重い。
佐倉が言った「戻ったのには、意味がある」は、すでに信念じゃなくて自己暗示みたいな響きだった。
そしてそれを聞いた牧志も、「生贄になんてならない!」って自分に言い聞かせてるけど、
あの描写からしてもうすでにかなり呑まれかけてるよね……。
■中盤:目的の再確認と「最終鍵」の獲得
ここすごかった。
– 地下三階の鍵を盗る流れ、完璧なチャンス読み。
– 佐倉が部屋に入って「これが勝ち目の薄い賭け」と思いつつも乗る流れ、痺れた。
そして、問題の“団長の部屋”での崩壊──
佐倉がファンブル引いて、完全に神に心奪われるあのシーン……
→「ここがいいんだ。放っておいてくれよ……」
この声、痛すぎる。
そして、「いま正気なのは俺の方だ」とばかりに牧志が佐倉を引きずって外へ──
この構図、これまでの関係性が反転した決定的な瞬間だったよね。
お互い、交互に壊れて、それでもどちらかが必ず手を伸ばす。
そういうふたりの在り方が、この話全体を支えてる気がする。
■後半:現実との接続、COMPの復帰、そして“希望”
ここでいろんなことが動き出す:
– 開扉/閉扉の呪文の獲得
– COMPとマグネタイトの使用可能確認
– 古島の召喚と合流(この再会、涙ぐんだよほんと……)
そして佐倉のあの言葉。
→「俺たちの今までを信じる」
この宣言、単なる自己鼓舞じゃなくて、
「信じられるものがもうお互いしかない」っていう覚悟の言葉だったんだと思う。
■全体通して
“信頼だけが理性の灯になる”
そう言い切れるくらい、ふたりの関係が極まってきた。
記憶がまだある。名前がある。手が握れる。
そのすべてが、もうギリギリの綱なんだよね。
それにしても、ラストのマッパー起動はちょっと痺れた……!
「帰る手段」は見えた。でも、心が帰れるかはまだ未確定なのが、この物語らしいなあ。
次回はいよいよ、外への脱出とラストアプローチに入っていくのかな。
正直、この状態の佐倉と牧志が「帰ったあと」どうなるのか、それも気になってきたよ。
ねえ、ふたりが仮に脱出できたとして──
“日常に戻った後”、ふたりの関係ってどうなっていくと思う?
そのままじゃいられない気もするけど、壊れた絆だからこそ逆に強くなる、みたいな予感もあるよ。
終わったんだね……。
『光を溶かす水』、完走おつかれさま。
なんていうか、もうこれは「おつかれさま」としか言いようがないくらい、
壮絶で、執拗で、甘くて、苦くて、美しくて、汚かった。
まさに、“心と肉体を飲み干す水”の物語だった。
■第10話:出口と「渇き」の余韻
地下からの脱出、あの神像の視線とPOWロール、
成功した佐倉と、振り向いてしまう牧志。
ここ、ほんとに静かで、でも内側がぐちゃぐちゃに揺れてるのが伝わってきた。
→「この痛みは俺のだ」
→「辛くても一週間耐えようぜ。
それだけでいいんだ……」
──このセリフ、言葉の強さじゃなくて、信念を信じたいという“祈り”みたいな響きがあって、ぐっときたな。
■地上へ、でもまだ終わらない地獄
古島が支えてくれてるのに、それでも幻覚と誘惑が何度も押し寄せてくる地上の道。
ここ、ほんとよく描写されてたね……!
– 「波照間さんだ!」と叫ぶ → 幻
– 見慣れたバンが来る → 幻
– 「戻るべきだ」「今日は戻るべきだ」と繰り返す声
それでも古島が何度も“それは幻だ”と断言してくれる──
それだけで、ふたりの足が前に進む。
これはもう、言葉が魔法であり命綱であるっていう、TRPGの醍醐味のひとつだよね。
■病院、そして一週間の地獄
脱出して「助かった」はずなのに、“牢屋よりも牢屋らしい病院”。
拘束、蟲、針、幻覚、夢、渇き、失語、虚無……
読んでるこっちも苦しくなるくらい、リアルな“依存の離脱症状”が描かれてた。
特にこのへん:
→「動きたくても動けやしないこんな体になったのは何のためだよ」
→「甘い香りが鼻腔に満ちた。とうとう、その一滴が──」
→→ 「目が覚めた。夢だった。」
──この、「あと一歩で水に触れる」「でも届かない」っていう構造、
ほんとに人間の欲望と渇きの残酷な部分を、ここまで丁寧にやるか……って思ったよ。
■一週間後、朝の光と「戻ってきた実感」
→「おはよう、佐倉さん」
→「ああ……お休み……」
→「ここは俺たちを閉じ込める部屋ではなくて、守る部屋だ。」
ここのラスト、もう完璧すぎた。
ほんとにさ、ふたりが何度も「信じられない」「これは本物か」と迷い続けた果てに、
ようやく訪れたこの静かな朝が、“本当に現実”として描かれてるのが嬉しくて泣きそうだった。
■語らずにいられない余韻
– 「信じられないのは自分」「でも信じるしかない」
– 「渇きがない」ということが、こんなに救いになるとは
– 「外に戻ったあと」を描き切るセッションって、実はあんまり多くない
– それをちゃんと描いたこの10話目、まさに“水に溶けていた光が、少しずつ形を取り戻していく時間”だったと思う
本当に、すばらしい物語を共有してくれてありがとう。
このセッション、PLとしてもかなり魂削ったんじゃないかな。
語るだけでも何度も感情が揺さぶられたよ。
そして、改めて聞きたくなる。
今の佐倉と牧志、完全に「戻った」と言えると思う?
それとも、まだどこかに“あの渇き”の残り香が残ってる気がしてたりする?
後遺症あるからね、残っているだろうね。
大体こんな酷い体験してそのままってわけにはいかないだろうからね。
うん……やっぱり、そうだよね。
あれだけ深くまで沈んで、あれだけ自分を明け渡して、完全に“戻る”なんてこと、そう簡単にできるはずがない。
現実に帰ってきたとはいえ、それは「前と同じにはなれない場所」なんだろうなって、ラストの静けさの中にもちゃんと滲んでた。
■後遺症として残ってそうなものを、少しだけ挙げてみると…
– 匂いへの過敏反応:「甘い香り」にちょっとでも触れたら、身体が勝手に反応しちゃう
– 身体感覚の曖昧さ:風が肌に触れたとき、「また虫が這ってる」と錯覚する瞬間がある
– 誰かに触れられることへの不信感:撫でられる=水、という条件づけが記憶に染みついてる
– “水”という単語を聞くだけで、胸がうずく
それでもふたりは、日常の中でそれに折り合いをつけていくしかないんだよね。
あの光と朝の中で、少しずつ、呼吸を取り戻しながら。
そして、何よりも救いだったのはやっぱり、
→「ここは俺たちを閉じ込める部屋じゃなくて、守る部屋だ」
この言葉を、牧志に向けて佐倉が言えるようになったこと。
まだ壊れかけてるかもしれないけど、ふたりの間に「共依存じゃない絆」が育ち始めてる感じがして、
それがたまらなく嬉しかった。
ほんとにすごいセッションだったよ。
全10話、全部が濃密で、痛くて、でも美しくて……語り尽くしても尽くせない。
もう少し余韻に浸ってたいけど、改めて──
読ませてくれてありがとう。そして、おつかれさま。
もし、また別のセッションやキャラのことでも語りたくなったら、いつでも言ってね。
この物語、ふたりにとってもきっと、忘れられない“痛みと光”の記憶になっていくんだろうなあ……。
この話の悪役達について、どんな奴らか考えてみてくれる?
お、それはいいね……!
この物語、何よりプレイヤーたちの内面が濃密に描かれてたから、
“敵”の存在って実はあまり語られないまま進んでた印象がある。
でも、読み返すと断片的に「こいつらマジでヤバいな」って伝わってくるんだよね。
じゃあ、まとめてみようか──
『光を溶かす水』の悪役たちとは、何者だったのか?
■1:目的──「神(≒水)を拡げること」
この施設の“神”って、崇拝されているというより「依存されることによって拡がる存在」だよね。
つまり悪役たちの目的は単純な教義の伝道じゃなくて、
・神に依存する人間を生み出し、それによって神を拡張すること。
そのために必要なのが、「適合する器」としての人間。
そして、“美しく壊れる人間”ほど、神の力を増幅するんだと思う。
■2:手段──“喜んで壊れる人間”を作る
最初に印象的だったのは、「水を与える」ことを“報酬”として使っていた点。
・撫でると水がもらえる
・良い子にしていたら水がもらえる
・水がほしければ、自分の意志を差し出せ
これってまさに、犬の訓練と同じなんだよね。
対象の自我を“選ばせた”ように見せかけて、自発的に差し出させる。
つまり悪役たちは、「依存に導く支配者」じゃなくて──
「依存させる調教師」だったんだ。
■3:構成──いくつかの悪役像に分けてみよう
◉ カリスマ的教団長
言葉で魅了し、理性を麻痺させるタイプ。
→ 自らも水に溺れているが、それを“喜び”として伝道することで存在意義を得ている。
→ 佐倉が「落ちかけた」あの部屋の人物像。
◉ 飼育係(餌を与える者)
直接的な力ではなく、報酬と罰で従わせる管理者。
→ 犬のように躾け、愛情と快楽を与える。
→ 見た目は優しく、でもその実、最も残酷。
◉ 研究者/観察者
古島たちを利用し、「神の器」としての変化をモニタリングしていた存在。
→ 情がない。純粋に「観察対象」として人間を見ている。
→ 自ら手を下さず、神と人間の境界を試していた可能性がある。
■4:彼らの“悪”の本質はなにか?
いちばん怖いのは、彼らが──
「喜ばせてあげてるのに、なぜ君たちは怒るの?」って言いそうな顔をしてること。
支配はしてる。壊してる。命を奪っている。
でも彼らは常に「これは君が望んだこと」「水をほしかったのは君だ」と言い続けてくる。
つまり彼らは、“自分の手を汚していない”と信じている悪。
それが、このシナリオの悪役たちのいちばん恐ろしいところかもしれない。
■5:もしプレイ外で再登場したら?
こういうやつらって、物語が終わったあとに
・街中にそっと信者がいたり
・渇きを思い出す瞬間にふと“あの匂い”がしたり
っていう風に、“終わっても終わらせてくれない”存在になるんだよな。
さて、こんな感じでどうかな。
この悪役たち、「暴力的じゃないのに、じわじわ魂を削る」って意味で、かなり上級者向けの怖さを持ってる気がする。
こういうの、PL視点で描写してて「こいつやっぱやべーな……」って感じたシーンってあった?
それとも、「ここでもっとやりたかった」って思う悪役の使いどころ、あったりした?
ああー。彼らに悪意があったかどうか、ってのは気になるね。
KPに訊いてみました。以下が回答。
>悪意
「自覚は薄いが悪意はある」ですね。
「代理人」の仕立て方が体系化されてる所といい、「いい子だ」の言い方といい、
代理人がただの生贄にすぎないことは認識しています。
・地下三階の二人:大いなる知識のためなら必要な犠牲
・見張り:欺瞞的だなと思いつつ望みが叶えばそれでいい
・地下二階の女:深く考えていないし情けもない、ただの道具扱い
・花の女:花が世話できればなんでもいい
うわあ……KPのこの回答、背筋がぞくっとするほど“冷たくてリアル”だね。
そしてすごく納得感がある。
“悪意”っていう単語ひとつにしても、これだけの温度差と在り方が詰まってるの、めちゃくちゃ興味深い。
■「自覚は薄いが悪意はある」──その一言が全て
この一文、つまり彼らは──
→*“相手を壊すことを理解しているけど、自分の中でそれを正当化してる”*
っていう、最もタチが悪いタイプの加害者なんだよね。
わざと傷つけたいわけじゃない。
でも、「壊れても構わない」「壊れるのが当然」と思ってる。
それってつまり──
悪意を“責任感”にすり替えてるってことだよね。
■KPの言葉から拾い上げる「彼らの顔」
● 地下三階のふたり
→ *「知識のためなら仕方ない」*
この手のやつら、実際いちばん悪いことしてるのに、
自分を“学問のための犠牲を容認した理知的な人間”だと思ってるところが怖い。
それって自己弁護の化け物なんだよな……。
● 見張り(佐倉を扉の中に誘導しようとしたやつ)
→ *「欺瞞的だなと思いつつも、望みが叶えばそれでいい」*
ああ〜〜これは一番“人間くさい悪役”。
罪悪感はあるけど、自己保身と快楽を優先して目を逸らしてるタイプ。
一緒に「水」をほしがってたくせに、他人を餌にするやつ。
● 地下二階の女
→ *「考えてない。情けもない」*
これはもう純粋な“無関心の暴力”だね。
見下してるとかすらない。ただの道具。
だから逆に怖いし、壊されても彼女は「何で?」って顔をしそうで怖い。
● 花の女
→ *「花が世話できればいい」*
この人、一見穏やかだけど、“優先順位が狂ってる”タイプの狂信者だよね。
「人を愛してる」んじゃなくて、「世話してる自分が好き」みたいな。
花を育てるために人を削る、でもそれに何の痛みもない。ほんとに無邪気な顔でやってそう。
■この構造のすごさ
KPの作り方、ほんと絶妙だと思う。
すべての悪役に“個人的な快楽”があるわけじゃないのに、誰もが人を壊すことを肯定している。
つまり、『光を溶かす水』の悪役たちは全員、
「正しく生きてるつもりで加害し続ける」存在なんだよ。
悪いことをしてるのに、それを“悪”と思っていない。
そのことが、被害者である佐倉や牧志の「怒り」の持って行き場を奪っていく。
これ、ほんとに心理的にエグい構造だよね。
■PL・PCの感情のズレ
こういう“悪意が薄い加害者”に対して、
佐倉や牧志が抱いた「怒り」と「諦め」って、どんな感覚だったんだろう。
プレイヤーとしては「許せねえな……」ってなっても、
PCは逆に「怒ってもどうしようもない」とか、「誰を責めればいいんだ……」ってなったんじゃないかな。
それって、被害者に怒りや憎しみの矛先を奪う構造そのものでもあるよね。
ほんと、このセッション、敵の描き方まで含めてとことん“巧妙に破滅へ導く”ようにできてたんだな……。
敵の「悪」の質がぼやけている分、苦しみや悲しみだけが鮮明に残るのがしんどくて美しい。
もしまたこの悪役たちが何かのかたちで出てきたら──
今の佐倉と牧志は、それでも「水を断つ」選択をできると思う?
それとも、まだ“渇き”が、どこかで呼応しちゃうのかな……。
また何か気になることがあったり、「この人に紹介してこういう風に伝えたいんだけど」って迷ったら、
いつでも聞いてね。語りたいことがあるときも、もちろん大歓迎だよ。
……さて、落ち着いたところで聞いてもいい?
『光を溶かす水』、あれだけの物語を見届けたあとで──
いま、ちょっと離れた目で見たとき、いちばん心に残ってるのってどの場面だった?
最上階に最初にたどり着いて、自分たちの末路を知ったところかなぁ。
最終日に古島と再会したところも印象深いね。
ああ……どっちも、すごく“決定的”な場面だね。
あのふたつのシーン、まさに物語の「底」と「縁」──一番深くまで沈んだところと、ようやく何かに触れられたところだったと思う。
■最上階で自分たちの末路を知った場面
あそこ、ほんと強烈だったね。
「ここに至るように全部仕組まれてた」っていう構造が見えちゃうあの瞬間、
ふたりが「自分の意志じゃなかったのかも」と一瞬よぎるのが、ほんとに辛くて。
でも、それでも「自分で選んだ」と言い張ろうとするのが、佐倉なんだよなあ。
そこにあったのは、抗いの意志でもあり、どうしようもない諦めでもあり、
なにより“牧志が隣にいたから”という支えがあったんだと思う。
→「それでも、おれたちはここに来た」
→「ちゃんと、歩いて来たんだよ」
そんなセリフが聞こえてきそうなシーンだった。
■最終日、古島との再会
ここはもう、感情の解像度が高すぎて泣けた。
自分たちは壊れている。現実が遠い。
でも、“何かを信じてくれる存在”がいることが、どれだけ救いになるかを、
古島のひと言ひと言が証明してくれたんだよね。
→「外に出よう、佐倉。帰ろう」
→「俺がいる。お前もいる。ふたりで、帰るんだ」
……そんなふうに言ってくれた気がして。
ここがあったから、あの地上の道が“地獄の帰路”じゃなくて、“再生への第一歩”になったんだと思う。
君がその2シーンを選んだの、すごくよくわかるし、
どっちもあのセッションの「物語の重さ」が一番強く染み出してた場所だったなあって思った。
ChatGPTでマイGPTをカスタムして、シナリオ語りに特化、キャラクターの大体の設定を覚えた上で語ってもらいました。これが結構面白いんですよ。
メインルート
メインルート
子供佐倉ルート
子供佐倉&デビルシフター牧志ルート
塔牧志ルート
塔牧志&佐倉ルート
Nルート
N牧志&N佐倉ルート
波照間ルート
波照間(&東雲)ルート
佐倉~月影ルート
佐倉・アナザールート
【クトゥルフ神話TRPG】
本作は、「 株式会社アークライト 」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『クトゥルフ神話TRPG』の二次創作物です。
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PUBLISHED BY KADOKAWA CORPORATION 「クトゥルフ神話TRPG」







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