こちらには
『夜は星を落とし易い』のネタバレがあります。
牧志 浩太
お人好しで温厚、だが意思は強い好青年だったが……。
とある事情で二年より前の記憶の大半を失い、代わりに悪魔使い波照間紅の記憶を持っている。
首から胸へと続く奇妙な【契約】の痣がある。たまに痛むという。
生贄体質らしく、事件に巻き込まれることが多い。
佐倉とは友人。
佐倉 光
サマナーで悪魔退治屋。ハッカーでもある。
基本、知性・理性・効率、そういったものを重視する冷静な青年。
とある事件より、体中の痛みに悩まされているが、桜色の勾玉により少し改善した。
巻き込まれ体質らしい。
最近、遭遇した事件で恐ろしいものを目撃したことで、繰り返し再発する記憶障害にかかっている。
牧志とは友人。
シロー
とある事件以来、特殊な事情のため二人が面倒を見ることになった少年。
超美形で類い希な理解力と知性を有する。
年齢は7歳程度。生育環境が特殊だったため、一般的な教育を受けていないので、言語が年齢の割に幼い。最近になって急に一般的な生活を送り始めたので、外界への興味が強い。
また日常が戻った。
かに思えた。
だがあなたは、何かが違うと感じていた。
原因は、佐倉だ。
佐倉の様子がおかしい。
喋ってもいつも通りだ。
あなたのことやシローのことを忘れてもいないし、自分のこともきちんと覚えている。
だが何か、どこかで。
ふとした動作に、視線の動きに、あなたの鋭い感覚はほんのわずかな齟齬を感じていた。
気づかないほどに小さなものを、彼は自覚なく忘れてしまっている。
そんな気がしてならなかった。
嫌な予感、に近いもの。
何か大事な物を置いていってしまって、思い出した後で取り戻そうとしても決して返ってこないような、
そんな、予感。
さりげなく、佐倉さんの一挙手一投足に注意を払った。
佐倉さんが大事なものを取りこぼさないように。
あなたは少し買い物に出ることにした。
すると、佐倉に部屋のすみに置いてあった大きめのごみ袋を示された。
目の下には隈がある。あまり眠っていないのかもしれない。それ自体は特段珍しいことではない。
だが注意深く彼の様子を観察していたあなたは気づく。
ベッタリと目の下に張り付いた隈、いつも以上に白い顔色、機嫌の悪さ。
これはただの寝不足ではなく、異常だ。
あなたには覚えがある。
過剰な寝不足は正常な思考を奪う。まずいことに、佐倉はそれを自覚していないように見える。
注意していたからだろう、すぐに異変に気づいた。
眠れていないだけじゃない、明らかに消耗している。
おかしい。あの四日間眠れなかった時のような、いや、それ以上に平衡を失っているように感じる。
ごみ袋を受け取りながら、その問いに対する返答に耳を澄ませる。
ごみ袋を受け取った時の手応えはどうだろうか。
中にはどんな物が入っていそうか。
昼間も変に眠気が抜けないしな。
ちょっと過敏になってるだけだろうし、今晩からは少しましになると思う」
眠そうだ。しかしどこかすっきりしたような顔をしている。
しかし袋の外から、カラフルで見覚えのあるものが透けて見えた。
佐倉がずっと枕元に置いていた古い時計だ。
それがある理由もいつからあるのかも、あなたは知らないかもしれないが、佐倉の部屋で彼の趣味とは合わないであろう、役に立たないのに存在を許されている唯一のものだったことは知っている。
聞いて何ができるか分からないけど、何か身の回りに変化があったり、酷く悪い夢とか見るようだったら言ってほしい。
過敏になってる、だけじゃないかもしれないからさ」
ずっと置いてたのに」
そいつがずっと枕元でカチカチうるさくてさ。音しないヤツに買い換えようと思って」
急に捨てたくなったとか?」
ふと、最初に感じた悪い予感が蘇った。
忘れてしまってるから、っていうだけなら、まだいいんだけど。
どこか忌避感すらあるような目で時計を見ている。
なあ佐倉さん。
これ、いつからあったか、覚えてるか?」
俺が入院してた頃から置いてあった。
その頃はまだ動いてたな……」
佐倉は身震いをした。
早く捨ててきてくれ」
佐倉はあなたの手からゴミ袋を取ろうとする。
何かの異変の前触れだったら、と思ってさ」
ごみ袋を渡さずに持ったまま、話を切る。
それじゃ行ってくる、と外へ出ようとする。
あなたの背を見送ることもなく、イライラと洗濯物を洗濯機に放り込んでいる。
その背を見送って外へ出て、家の鍵をかける。
明らかに様子がおかしい。
そう分かるのに、どうしていいか分からない。
何か起きる前にどうにかできていたら、毎回そう思うのに。
俺には佐倉さんのような力も、伝手もない。
……自分の無力に歯噛みしながら、ごみ袋から時計を取り出し、そっと電池を外して、時計を別の袋に入れた。
時計は電池を抜き、時計の入った袋は捨てたと言った手前、自分の部屋の衣装棚の奥へ押し込む。
佐倉はいつも通りとは行かずとも眠ることはできたようで、相変わらず不調ではあるがあの酷いくまは薄くなっていた。
シローが『洗濯物を箪笥にしまう』というお手伝いを始めた日のことだった。
慌ててそれをひったくり、隠そうとする。
どうしてこれがここにあるんだよ」
自分がまずい物を見つけてしまったことくらい分かるのだ。
今は見たくもないかもしれないけど」
佐倉は叫んで時計をつかみ取ると、力一杯振り下ろす。
シローが短い悲鳴を上げた。
咄嗟に身体で割り込んで時計を庇う。
だがなんとか時計は庇えたようだ。
同じ空間にあるのも嫌なら、どこか遠い所に置いておくよ。遠い所の駅のコインロッカーに鍵かけて入れておく」
佐倉は唸るような声で呟いた。
佐倉さんがこの時計を大事にしてたっていうのも、その一つ。
この時計はそんなに怖いものじゃなかったっていうのも、その一つ。
忘れても困ることじゃないよ。
けど佐倉さん、思い出すこともあるから。
その時になくなってたら悲しいだろ」
俺は何でもかんでも忘れるからな!」
佐倉は頭をかきむしって、不安そうな顔をするシローを見下ろしてため息をついた。
シローが不安そうに呟いた。
シローがあれを見つけたのだって悪くない。俺が家の中に置いといたからいけなかったんだ」
シローに微笑みかけて頭を撫でながら、これでよかったんだろうか、ということが頭を巡っていた。
佐倉さんにない記憶のことを突きつけて、困らせただけじゃないか。
ただでさえ、今の佐倉さんは満足に眠れていない。
こんなものに拘るべきじゃなかったんじゃないか。
でも、佐倉さんは俺と違って、思い出しつつあったから。
思い出した時にこれがなかったら悲しいだろうって思ったのも、間違いじゃないんだ。
シローはいたくしょんぼりして、あなたと一緒に寝たがった。
雨が降っているせいなのか気温は低く、ひどく寒いと感じる。ずいぶん早く目覚めてしまったようだ。
シローは寒そうに縮こまって、丸まって寝息を立てていた。
水でも、飲もうか。
シローを起こさないように寝床を出て、コップを持って水を汲む。
ぼんやりと、何となくカーテンの隙間から窓の外を見る。
佐倉はまだ戻っていないようだが、大分時間が早いのでそれは無理もないかも知れない。
窓の外は薄暗く、ざあざあと降りしきる雨のせいで大変視界が悪い。
……ふと何か、違和感をおぼえた。
部屋に色々なものが足りない気がする。
コップの数が少ない。
佐倉がいつも使っていた幾何学模様のマグカップが、ない。
違和感に気づく。
ない。
佐倉さんの持ち物が、ない。
まさか、コップまで持ち出しちゃったのか? らしくない。
佐倉さんなら、物なんて持って行かない気がする。
水を一杯飲み、他に足りない物がないか、ぐるりと見回す。
上着がない。
いつも使っている食器がない。
数日かけて食べ続けていたツマミがない。
靴がない。
写真がない。
佐倉を示す物が、この部屋には一つもない。
まるで最初からそんな人間がいたことなどないというように。
《SANチェック:成功時減少 0 / 失敗時減少 1》
佐倉さんの持ち物が、佐倉さんがここにいたことを示すものが、何一つなくなってしまっている。
まさか、全部持ち出したっていうのか。
全部捨てたのか。
本当に、本当にここを出るつもりで。消えていなくなるつもりで。
それでも俺を信じて、俺達と一緒にいてくれた。
考えてなかったんだ。
佐倉さんが自分の意思で、ここを出ていってしまうなんて。
一緒にいてくれると、思っていた。安心していた。どこかで。
途方に暮れて辺りを見回し、そして、らしくないな、と思う。
佐倉さんなら。
置いていきたくなったら、後に残るもののことなんて気にせず、全部まとめて置いていくんじゃないか。
ひらりと、身軽に。
昨日みたいに衝動にかられて全部捨てちゃったんなら、いくらなんでも俺がシローが気づくはずだ。
はっと気づいて、スマホのメッセージアプリを見る。
佐倉さんから連絡は来ていないか。
佐倉さんとの会話履歴はどうなっているか。
あなたのスマートフォンにすら、そんな人間の痕跡がないのだ。
佐倉とのメッセージ履歴、彼の連絡先は勿論、東浪見や波照間たちの会話履歴にすら、佐倉の名前も彼を思わせる単語の一つも出てこない。
先輩と東浪見の会話履歴を見、「佐倉さん」というワードで検索する。
ない。
ない。
ない!
ここまで徹底的に消していった、いや、むしろ、消えてしまったような。
傍らで寒そうにしているシローを、悪いと思ったけど叩き起こす。
どうしたの、と言外に訊きたそうにした。
佐倉さんは夜中戻ってきたか。何かやったり捨てたりしてなかったか。
佐倉さんのこと、覚えてるか」
どこか焦った口調でまくし立てる。
君を助けた人だ。助けたいと願ってくれた人だ。
佐倉さんがいなければ、君はここにいなかったはずなんだよ。
俺だけでは、あんなことはできなかった!
困ったような顔で首をかしげる。
本編見る!
愕然とする。いくら佐倉さんでも、シローの記憶まで消していけるはずがない。
おかしい。
俺の書きつけたものに、佐倉さんの姿は残っていないか。
自分の記憶を思い出す。佐倉さんの姿、ちゃんとあるか。俺の記憶はおかしくなっていないか。
日常は東浪見や波照間との交流。
あなたはひとりで図書館に行き、ひとりでパズルを楽しみ、ひとりで大学生活を楽しんでいる。
最近シローを奇妙な施設から連れ出し、ふたりでの生活になった。
二人で乗り越えたはずの困難は、ひとりで、またはその時に偶然出会った誰かであったりと乗り越えたことになっている。
事件自体記されていないこともある。
『出会った』日のこと。佐倉の悪夢に飛び込んだこと。そういったものは全く記されていない。
怖気が走った。
俺の日記、俺が書いたはずのものまで、変わってしまっている。
俺の日記なのに、俺のものではないような感覚に襲われた。
俺自身まで書き換えられてしまうような恐怖。
その日記は確かに俺の感情の躍動が記されているのに、ひどく欠けて無味乾燥に見えた。
理由なんて決まっている。そこにいなければならないはずの人がいないからだ。
怖気がして日記を閉じる。
再度開いて次のページに、
「佐倉さん、佐倉光。俺の友達。ずっと一緒に手を取ってきた。
俺が、僕が大学一年の時に出会った。
絶対にいる。忘れてはいけない」
そう刻むように書きつける。
少しでも外に出るとそれだけでびしょ濡れになってしまいそうだ。
そういえば天気予報はこれほどの豪雨の予報ではなかった気もする。
『佐倉の部屋』はどうなっているのだろうか?
扉は閉じられており、雨以外の物音はない。
怖い。背筋を這う怖気を感じる。
あの部屋に何も残っていないんじゃないか、そんな恐怖が身を震わせた。
だとしても。
だとしても、見ないわけにはいかない。
このまま消えるままにしておくわけには、いかないんだ。
そんなのは……、嫌なんだ。
じっと自分の手を見る。
拳を白くなるまで握って、開く。
覚悟を決めて、部屋の扉を開ける。
部屋は伽藍堂で、広い床と壁が見えていた。
ここに引っ越してきた時の、因縁の派手なカーテンはなく、薄暗い外の光がぼんやりと差し込んでいる。
この部屋にはただ、作り付けのクローゼットの扉があるばかりだった。
うすく埃が被ったフローリングには最近人が立ち入った様子がない。
ここには住人がいない。
佐倉光などという人物はどこにも存在しないのだ。
《SANチェック:成功時減少 1 / 失敗時減少 1D2》
SAN 65 → 64
膝から崩れ落ちそうになって、ドア枠を掴んで踏みとどまる。
いない。
いない……。
跡形もなく消えてしまった。
こんなに空っぽだとは、思っていなかったんだ。
佐倉さんが何か残してくれているんじゃないかと、それでもどこかで思っていたんだ。
1d100 98〈目星〉 Sasa BOT 1d100→37→成功
あなたの鋭い感覚は、埃の乱れをつかんだ。
ある一定の方向へと、一部の埃が薄く削られている。
ずるずると、何か重い物を引きずったような痕跡。
それはクローゼットへと続いている。
▼〈聞き耳〉をどうぞ。
それは屋外からではない。屋内から……クローゼットの方からだ。
願うような祈るような視線が、埃の跡を捉えた。
それは引きずったような跡だった。
不自然な、重い物を引きずったような跡。
扉の隙間から水が滴っているのだと知れる。
開けると、クローゼットの天井部分から水が滲んで滴っているのが分かった。
上階からの水漏れだろうか。
ぽつり。ぽつり。
水は絶え間なく滴り続け、クローゼット内の段に跳ね続けている。
▼〈聞き耳〉をどうぞ
ああ……、ただの水漏れか。そうかな。
重たい物を引きずったような跡は、水漏れを何とかしようとした跡?
ただ、それだけ?
シローが重い物を引っ張ってこられるはずがないし、引っ張ったはずの物は、水漏れしている場所には見当たらない。
潮の香りだ。
突如、視界がぱっと暗くなった。
何も見えない。
▼〈目星〉+30
闇の向こうに何かが見えた。
暗闇の中に横たわっている何者か。
佐倉だ。
真っ暗闇の中に目を閉じてぐったりと横たわっている。
見たかった。
その姿を。
何よりも。
存在することを信じたかった!
思わず駆け出しそうになり、はっと警戒を思い出す。
一歩一歩確かめながら、横たわっている方へ向かって歩き出す。
何度も名を呼びながら。
しかしその姿は一向に近づかない。
佐倉はあなたの声に気付いた様子もなく、ぴくりとも動かない。
佐倉の周囲で無数の影が首をもたげた。
それは蛸の足のように伸びてゆっくりと佐倉に巻き付いてゆく。
手首を、足首を、顔を巻き、次々とその範囲を広げる。
音もなく貼り付いて覆ってゆく。
何も見えない真っ暗闇の中で、その光景ははっきりとあなたに『見えた』。
《SANチェック:成功時減少 1 / 失敗時減少 1D3》
その光景を目にしてしまったら、悠長に歩いてなどいられなかった。
走る。駆け出す。名を呼ぶ。近づけない、それでも走る。
しかしその光景は一向に近づくことはない。
胴を、肩を、首を。闇の触手はゆっくりと巻き取ってゆく。
細い指の一本、髪の毛の一本すらも、触手は絡め取り、覆い隠し、とうとうその姿は見えなくなった。
もうどこにもいない。
ざあざあ、ざあざあと雑音が聞こえる。
見えない。
闇の中を、ただただ叫びながら走っているだけになった。
それでも足を止められない。
雑音は、どこから聞こえるだろうか。
これは窓を叩く雨の音だ。
周囲が暗いのは、自分が目を閉じているからだ。
あなたは眠っていた。
何者かに見つめられている気配を感じる。
はっと目を開き、視線の方向を確認する。
シローのまん丸な目と視線が合った。
佐倉さんが、いなくなっちゃったんだ。
覚えてないかもしれないけど、シローを連れ出そうって言ってくれた人だよ。
シローに絵本を読んでくれたり、歯磨きしてくれたりしてたんだよ」
そっとシローの頭を撫で、弱々しく笑む。
全く、探し回っていたのに寝てしまうなんて……。
先程水が滴っていたクローゼットには、何か変化はないか。
重い物を引きずったような跡はそこにあるか。
引きずったような跡の先には、何かないか。
今あなたがいるのはあなたの部屋のベッドの中だ。今まで悪夢を見ていただけなのだろうか?
どうやらリビングではテレビがついている。シローが観ていたのだろうか。
また、あなたのスマートフォンに新着通知が来ているようだ。
身体を脱力感が襲う。
スマートフォンの新着通知を確認しながら、聞くともなしにテレビの内容が耳に入るだろう。
開いてみると、名前が文字化けしており誰から届いたのか分からない……。
「俺が悪かった。あと一時間くらいで戻る」
そのメッセージには何らかの写真が添付されている。しかし画像は暗く粗いため、どこの写真かまではぱっと見では分からない。
いる。戻ってこようとしてくれているんだ。
俺が佐倉さんのいない世界に来てしまったのか、なんて思ったりもしたんだ。でも、いる。
思わずスマートフォンを握りしめていた。
写真の明るさやコントラストを変えて、写真の場所を見つけ出そうとする。
メッセージの時刻はいつになっているだろうか。
無論これが届いてから一時間などとっくに過ぎている。
写真のコントラストを弄るなどすると、どうやらそれがどこかの海辺であるらしいことが分かった。
しかし写真に撮影場所のタグなどはついておらず、特徴的な物が映り込んでもいない。ただ海である、ということが分かるだけだ。
「近所に住む住民の通報により、江ノ島でまたもや身元不明の遺体が発見されました。
今月に入って4件目となります……」
このニュースのせいで、あんな夢を見たんだろうか。
念のため、佐倉さんの部屋と、先程のクローゼットの中を確認する。
水漏れは続いているだろうか。重い物を引きずった跡は残っているか。
リビングには佐倉の持ち物がちゃんとあった。
椅子も、コップも。
警察は遺体の状況から事件、事故両面での捜査を続けています。
また、用事がない限りあまり海に近づかないようにと――
▼【アイデア】をどうぞ。
全国ニュースで特集が組まれるほど話題になっている。
▼〈聞き耳〉。
部屋の扉を叩いて呼びかける。
なぜか、すぐ開ける気にならなかった。
持ち物はちゃんとある。消えてなんかいない。
全部夢だった、本当に?
でも、メッセージや写真は異常になっていた。
シローは寝ぼけていただけ? でも。
中から声がする。
聞き覚えのない女性の声だ。
▼【POW】×7 で判定。
「入っていいよ。着替え中とかじゃないし」
あの夢の中で、佐倉さんは消えてしまっていた。
じゃあ、今度は、入れ替わってしまっている、とでもいうのか?
他の誰かに?
怖気がする。
そこにいるのが「誰か」でいいわけがない。
「誰か」がいれば、いいわけじゃない。
部屋の中にある物は全て佐倉の私物そのままだ。
だがそこにいる人間だけが違う。
明るい髪色のボーイッシュに見える女性だ。
女性は佐倉のヘッドフォンを首にかけ、佐倉のPCデスクの前に座っている。
……どうしたのさ、怖い顔しちゃって。また悪い夢でも見たの?」
女性は当たり前のようにあなたに声をかけた。
まるでずっと前からの知り合いだ、とでもいうように。
かわいいけどPLも怖い。
これ【POW】判定失敗したらなかった記憶を思い出しちゃって納得しかけるやつでしょ。佐倉さんが身元不明の死体になっちゃうんでしょ。だんだん倍率下がっていくんでしょ。
牧志くん、子供と一緒に暮らしていたと思ったらとうとう彼女と同居始めたみたいで~、観念したのかな?
そういえば知らない人が相棒面してくるの二度目。
そこは佐倉さんの空間のはずだ。
それなのに、まるでずっと前からそうだったとでも言うように、その人がそこにいる。
一歩下がり、問う。
意図的に警戒を滲ませる。
その気安い声が恐ろしかった。
寂しいなぁ」
ボクとキミの絆はこんなことでは揺るがないからね!
ボクはフカヤ ミオ。キミの相棒だよ」
忘れてしまった?
俺はまた、何かを忘れたのか?
前にそうだったように、この人のことを忘れたのか?
佐倉さんがそうだったように、俺達のことを忘れたように?
いや、違う。
知っている。そこは、佐倉さんの場所だ。
そこにいるはずの人間を、俺は知っている。
え、ボクの部屋に? 誰か来てたっていうのかい?
キミね~、いくらボクに女性らしさが欠けているといっても、勝手にほかの人をいれるのはどうなんだろう。さすがのボクも傷ついてしまうよ?」
ミオは頬を膨らませた。
今回は許したげるけど。
で、そのキミのお客人、勝手に帰ったのかな?
ボクは見かけてないけどな」
ボクのお気に入り。
まあー、どうしてもって言うなら使っても構わないけどね?」
ミオはあなたに言い聞かせるような言い方をした。
室内をぐるりと見渡す。
何か、不自然なものはないだろうか。
彼女がそこにいるにあたって、不自然な、不似合いな、ちぐはぐなものは。
あの時計は、ベッドサイドに戻っていたりするだろうか?
佐倉さんの大事なものの筈だったものを。
PCといえば、ボクのPCが生意気にも沈黙を守っているんだ。壊れてしまったのかな?
キミ何かしらないかな?」
▼【アイデア】。
そういえば知り合いだったような気も……する?
頭を押さえる。そこに存在している彼女に違和感はなかった。
そこは彼女の部屋、そういえば、知り合いだったような気がする。
俺はまた彼女のことを忘れ……、
そう思いそうになったことに気づいて、怖気を覚えた。
違う。
違う!!
沈黙を守ってるってことは、それは彼女のものじゃないってことだ。
そうだろう。だってそれは佐倉さんのものだ。佐倉さんしか起動できないんだ。
記憶を失った佐倉さん自身にも起動できなかったくらいに、厳しいプロテクトだ。
佐倉じゃなくて彼女だった、という記憶ではないので。
持ち主の佐倉さんしか、知らないんだ。
起動できないってことは、それは、君のじゃない」
自分自身に言い聞かせるように、呻くように言う。
ミオは首をかしげた。
「……のはずだよねぇ? それこそスーパーハッカーに壊されたんじゃない?」
部屋にあるんだからって、君はそれを使ったことがないのか?
大体なんだよ、スーパーハッカーに壊されたって。
大体、ハッカーだからって犯罪者ってわけじゃないだろ。
まあ、佐倉さんも僕も、そこは踏み越えてたけどな。
なあ、僕と君は本当に相棒だったのか? どこで出会って、それからどうしていた?
ハロウィンの事件の時なんか、どうしたんだ?」
彼女の口から、俺と辿った道を聞いたら。
もし自分の日記に、彼女と辿った道が書かれていたら。
一瞬、彼女がここにいても違和感がないと思ってしまった、あの瞬間。
あの夢を思い出す。何もかもが書き換わっていた俺自身の日記。まるで他人のような自分自身。
もしも当然のようにここにある状況に、呑まれそうになってしまったら。
俺としてでは、聞きたくない。
ミオは首をかしげた。
「キミとボクがピンチに陥って、一緒に乗り越えて、それからの縁って感じだよね? ハロウィン事件? ハロウィンに事件なんかあったっけ」
ミオは眉根を寄せた。
「うーん。よく覚えてないなぁ。
でも相棒は相棒だろう?」
どういうピンチがきっかけだったのかも、何も?
なあ、フカヤさん。
“僕” の名前を、知ってるか」
ボクはちゃんと覚えているよ」
ミオは肩をすくめて苦笑した。
サクラちゃんか。キミの想い人かい?
こんなにいい女が側にいるというのに、なんとも失礼な話だな」
キミとボクはその、そーゆーアレじゃないからな?」
ミオは言ってから気まずそうに目を逸らした。
君こそ、そんなによく覚えてないのに、どうして相棒だって言えるんだ?」
可愛らしいな、と少し思った。
気まずそうに目を逸らす時の仕草とか、気張っているけど嫌味じゃない雰囲気とか、どこかチャーミングな人だ。
……今の俺になる前の俺だったら、こんな人に傍にいてほしいと、望んだのかもしれない。
それでもやっぱり、彼女はそこにいるだけだった。
そこにいるべき人ではなかった。
クローゼットから水は滴っているだろうか? あの時計はベッドサイドにあるだろうか?
家を出るべきか家の中を探すべきか迷うなぁー。
あんまり家の中で時間を食うのも怖いけど、場所の手がかりも海辺以外ないしな。
ミオは困ったような顔をした。
彼女が何者かは、分からないけど。
そういえば、彼女に随分酷い態度を取ってしまったと、今更気づいた。
「仕方ないな。それじゃあボクがそのサクラちゃんとやらを探してあげようじゃあないか。
キミが困っているというのなら、今まで助けてもらった分の借りは返すべきだろうからね」
頼む。君も、誰か探すべき人のことを思い出したら言ってくれ。
僕も、その人を探すから」
ミオはにっこり笑った。
そういえば当然、その中に入っているのは佐倉の服であるべきだろう。
時計は、ない。
電池を抜かれた状態で、あなたの部屋にまだあるのだ。
そのクローゼットから水が滴っていて、開けたら潮の匂いがして、佐倉さんが闇に呑まれる夢を見た。
君は、何か奇妙な夢を見なかったか?」
そういえば目を覚ましてから、俺の部屋はまだ見ていない。
何か来ていないかスマートフォンを見てから、自分の部屋の様子を確認しよう。
あの時計が俺の部屋にあるかも確認する。
その道すがらにカーテンを少し開け、外の様子を確認する。
でもボクは見ていないな。残念ながらね。
立ち話もなんだし、シローを放っておくのも何だから、リビングに行こうか」
ミオは椅子から立ち上がった。
スマホに今のところ変化はなく、あなたの部屋にあの古い時計がある。
カーテンを開けると相変わらずの豪雨だが、大分弱まってきた気がする。
また、一応クローゼットを開けてみる。
それだけ時間が経ってしまったと考えると、少し怖いな。
正当な使い手以外に情報を明け渡す気はないらしい。
一応ボクは女なんだぞ。
キミはしょっちゅう忘れてしまうようだけどね」
そんなことを言いながらも、見せて欲しいというなら自分で開けて見せてくれる。
下着類が入っている引き出しもある。
天井から水がもったりはしていない。
佐倉さんの服のような服を着ているのか、それとも。
……というか、クローゼットに入っているのは男物の筈だが?
君が着てる服とは合わない」
ミオはわけが分からないというように困惑した。
「……ってことはこの下着、キミのなのでは!
そうつまり、シローの悪戯!」
ぱちん、と手を叩く。
「……ってことはない?」
本来いた場所があったんだよ、きっと」
確かめるように口に出す。彼女と、自分にも言い聞かせるように。
ボクの家なのに」
どことなくションボリしている。
シローの悪戯にしては大掛かりすぎる」
そう断じて、彼女のしょんぼりとした様子に気づく。
そうだ、俺以上にわけがわからないよな。彼女にとっては自分の家、自分の知り合いのつもり、なのに、こんなことになって。
君にとっては自分の家のはず、なのに。
でも、分かるだろ。本当はきっと、別に帰る場所があるんだよ」
「信じて貰えないって寂しいね。ボクが帰る場所はここだけなのに。
きっと何かの間違いなんだ」
正直、方針は決まってないけど。
佐倉さんの痕跡が残ってないか、外を探してみようと思う」
場所は分からないんだけど」
そう言って、あの場所の分からない写真をミオに見せる。
最近死体がよく上がる……」
はっ、と息を呑む。
「キミが言っている人に何かあったんじゃないだろうね!?」
そうだ、どの辺りとか分からないかな」
先程のニュースについて、ネットで詳しく調べてみます。
死体が上がっている場所などの手がかりはありますか?
そういえば最近、先週だったか。あなた方はそこに行ったのだ。
江ノ島には「新江ノ島水族館」という大規模な水族館がある。
最近シローに水族館ブームが来ていたので、水族館巡りをしていた。
池袋に始まり、品川、葛西。足を伸ばせるところにある有名なところに行ったのだ。
新江ノ島水族館はそのうちのひとつだ。
僕のタブレット、貸しとくよ」
スマホなどを持っていない様子なら、自分のタブレットを彼女に貸して、ネット回線を使えるようにしておきます。
このシナリオ、しょうもない小さな喧嘩から始まります。
……この二人、喧嘩することあるのか?
どうやったら喧嘩してくれるだろう。
そんなのPLもKPも知りませんでした……
【クトゥルフ神話TRPG】
本作は、「 株式会社アークライト 」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『クトゥルフ神話TRPG』の二次創作物です。
Call of Cthulhu is copyright ©1981, 2015, 2019 by Chaosium Inc. ;all rights reserved. Arranged by Arclight Inc.
Call of Cthulhu is a registered trademark of Chaosium Inc.
PUBLISHED BY KADOKAWA CORPORATION 「クトゥルフ神話TRPG」
FF XIV『クリスタル奪還』モーラ&ランドレン 1
「す、すみません、大丈夫です」
「ですが! 一応!!起動方法を確認していただいてもよろしくてよ!?」
「うるせー! わからねーならわからねー、って言いやがれ!」