こちらにはキルキルイキル
ネタバレがあります。
※キルキルイキル から派生した二次創作ショートストーリー。

あの日の君へ



 最近京の機嫌が悪い。
 きっと俺がなにかまずいことを言ったんだろう。
 いや、とうとう俺に愛想をつかしたんじゃないか。
 だから俺が何を言っても生返事しかしてくれないし、ずっと隣に居るのに俺をまともに見てくれないんだ。
 きっとあいつがバラバラにしたカメラを前に格闘しているのをやめさせて、無理矢理外へ連れ出したから。
 あれから京は無口だし機械いじりもしない。
 あれは「じいちゃんにもらったやつ」だって誇らしげに言ってた。
 俺のラジオと同じだな、そんな話をした気がする。

 そんな大事なものなのに、今は分解されたまま部屋の片隅の箱に入れっぱなし。

 俺たちは、あの日から壊れたままだ。


※※※※※※※※※


「おい、迅? ……寝てるのか」
 遠くで京の心配そうな声がした。
―――かったるい。宿題疲れた。ちょっと休む。寝させて。
 なかば無意識にごにょごにょと呟いた子供のような俺の言葉は、それでもちゃんと届いたらしい。居間から覗き込んでいたらしい京は面白いほどに困惑して、しかし先ほどより不思議なほど穏やかな声色で
「……宿題? いや、寝てるならいい」
そう言うと部屋の扉をそっと閉めた。らしい。そういう音がした。目を開くのも億劫で動けなかった。
 俺は半分眠ったままぼんやりと思う。
―――そうか。この京は違う。【一緒にいる方の京】だ。

 それからしばらく後、俺は頭の芯に響き渡る頭痛に顔をしかめてベッドから起き上がって薄暗い部屋をのろのろと出た。居間の電気は消えていた。京は随分早くに【出かけて】しまったようだ。
 ガタついた食卓には握り飯がひとつ置いてあった。【出かける】前にはここで一緒に飯を食うという約束を早速破ってしまったのは、少し悪いことをしたな、と思ったが。そんな小さな罪悪感をかき消すほどに頭蓋を叩く痛みは重く激しくなっていた。これではまともに考えることもできない。

 飾り棚の方に行って救急箱を開け頭痛薬を手に取る。ここは現実ではないのだし薬に意味があるわけもないのだが、それでも不思議と効く。プラシーボ効果というやつだそうだ。
 たとえ現実ではなくとも、そういう意味があると思える行動をとるのが大事なのだ、とくに【ここ】では。……と、京が言っていた。
 現実ではないと自覚していても効果があるのか? と何気なく問いかけたら、
「偽薬だと知っていてもある程度の効果はあるらしい」
さらっとそんな答えが返ってきた。その時に読んだ論文だかページだかも教えてくれたが、よくわからなかったので何となく聞き流した覚えがある。
 それだから【ここ】での二人の生活は―――色々と不便なことはあれども―――崩壊が始まる以前とほとんど変わることなく続いている。
 変わったことといえば【二人】を現実に闇雲に持ち出さなくなったことくらいだ。
 毎日風呂に入れないというのは軽いストレスではあったが……【ここ】の風呂は瓦礫の山だ。【ここ】には修理する術はなく、もうどうしようもない。
 大体現実ではちゃんと京が風呂に入っているはず……入っているだろうな? そのへんについてはいまいち信用ならない。あいつ時々びっくりするほど適当だから。

 ぱらぱら、と壁が崩れる軽い音がした。音に気を取られふと棚の奥の方を見てしまった。目に飛び込んできたのは不吉な陰に沈んだ金庫。色々と記憶を取り戻した今でも、その存在をよく忘れる。
―――いいや違うな。俺は忘れていたいんだ。
 俺は昨夜から着たままにしていたジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。指先に触れるのは冷たい真実の欠片だ。胸に入れてあったというのに、凍るような冷たさで指先にひやりと吸い付いて、気に入らない現実を突き付けてくる。
 今いる京は……何年もともにあり、あらゆることを分け合って生きてきた親友は……幼い俺が後悔と混乱と寂しさで作り上げた、いまだとても危うい存在であるということ。
 しかし現実にこの金庫は、ない。俺自身どこにあるのかわからない。
 京はいまだにこの忌々しい鍵のことを気にしている。知るべき真実などひとつも入っていないというのに。ああ見えて京はカンがいい。自分の力で本物の金庫にたどり着いてしまうかも知れない。
 早くしないと。早く何とかしないと。
―――部屋が崩壊する前に、俺がぶっ壊れてしまう。


 俺は頭痛薬を無理矢理飲み下してベッドに倒木のように倒れ込んだ。【眠り】は速やかに訪れた。心は暗い深淵の奥へ、深く深く潜ってゆく。
 遠くから聞こえる苦しげな泣き声を追うように俺は悪夢の中を彷徨う。
 俺は知っている。その声がどこから聞こえているのか。
 知っているはずなのだ。


※※※※※※※※※


 最近京の機嫌が悪い。
 祭りに行こうって無理矢理連れ出したから。
 あの時、タイムカプセルを埋めようなんて思いつきで言ったから。
 だからきっと前みたいに喋ってくれなくなった。

 俺がきっと何かした。何かとてつもなく酷い事を。
 だから、お父さんもお母さんも俺を見ようとしない。

 あの日の夜大人達に保護された俺たちは、何度も何度も「どこで別れた」「何があった」「どこで怪我をしたんだ」と訊かれた。
 そして誰もが訊いてきた。
「迅はどこ」「迅君になにがあったの」
 俺は答える。
「ここにいるよ」「俺が迅だよ」
―――どうしてみんなしておかしなコトを訊くんだろう。なあ、京?
 京は俺と手を繋いだまま、黙って佇んでいた。

 お母さんは最初、遠くで泣くだけで俺に会ってもくれなかった。
 お父さんは皆がしたのと同じような質問を浴びせかけてきて。
 俺は「ここにいる」「俺は迅だ」と答えて。
 そのたびお父さんは何故か、困惑して、怒って、泣いていた。

 そして俺は京を連れて俺の家に帰った。
 何だかお父さんとお母さんが余所余所しいし、お母さんはすぐにどこかへ行ってしまうしいつも泣いていたけれど、俺は平気だった。
 ずっと京が居てくれたからだ。
 京はやっと笑ってくれるようになって俺の話を相づちを打って聞いてくれていたけど、前みたいに自分から喋ってはくれなかった。

 その日の夜静寂の中で、俺は……小さな声を聴いた、気がする。
 誰かが助けを求める、夢を見ていた気がする……
 苦しくなって目覚めたとき、俺は何故だか、訳も分からず泣いていた。
 どうしてもそのまま寝付けず、洗面所に行って、そして。

 よく覚えていないけれど、俺は寝ぼけて、洗面所の鏡を叩き割ってしまったらしい。
 俺はあの頃から、水音がするだけで震え上がるほど、海やプールや……大量の水が大嫌いになった。


「京ちゃんは悪くない。でももう耐えられない」
 そう言ったのを最後に、お父さんもお母さんも俺に会ってくれなくなった。
 後になって引っ越していった事を知った。
 俺は、両親に捨てられたのだ。


 俺は無口になった京と一緒に、京の家に住むことになった。
 最初は嬉しかった。おじさんもおばさんも優しかった。
 ただ、おかしなことに、おじさんもおばさんも京ではなく隣に居る俺に話しかけてくる。京は最初黙って笑っているだけだったから、俺が代わりに答えたりしていた。
 京が笑い声を上げるようになって、喋るようになって、以前のように普通に遊んでくれるようになるまで随分かかった。
 それでもあいつは壊れたカメラを直そうとはしなかった。どうして、と訊くと、ちょっと直し方を忘れてしまったんだ、と困ったように笑う。

 なぜだか鏡はしばらく怖くて見られなかった。
 京に「大丈夫だから」と促されてやっと覗けるようになった。俺の隣に京が映っているのを見て、随分安心したものだ。

 中学生になると俺たちは一緒に家を出て、寮に入らせて貰った。おじさんとおばさんは割とあっさり許してくれた。
 家を出るとき、おばさんの顔が寂しそうでありながらもどこか安堵したようだったのを覚えている。
 俺は、倉庫で。ソウコに。入れて。
 その頃からようやっと、風呂に入る事への恐怖は消えた。


 寮に入った俺たちは、好き勝手遊んだし夜遅くまで語り合った。不思議とその頃のことはそんなに覚えていないが、とても楽しかったことだけは覚えている。
 家を出てから京は以前のようによく喋るようになったし、色々趣味のことを積極的に始めるようになった。
 その頃だったろうか。いつの間にか京は、小学生の頃に分解したままにしていた、おじいちゃんからもらったというカメラを綺麗に組み直していた。

 嬉しかった。
 本当に、嬉しかったのだ。まるで、自分のことのように。
 京は間違いなくここにいるのだ。やっと居場所を見つけたような気分だった。


 遠く、遠くの方から泣き声が聞こえる。
 まるで水に溺れているような、苦しげな声がする。
 声が呼んでいる。


※※※※※※※※※


 俺は引きつった悲鳴を上げ、自身の声に驚いて覚醒した。悪夢の終わりはいつも同じだ。全く休んだ気がしない。
 視界は真っ青で、奇妙な香りが鼻をつく。ここは【二人の部屋】じゃない。
 感情が高ぶりすぎて、活動している京を押しのけて一気に現実の方まで出てきてしまったらしい。これは、まずい。場合によっては命に関わる。例えば、バイクの運転中、とか。
 鼻を刺激するなんとも言えない生臭さ、身体を揺さぶる揺れ。知らない風景。目前に輝く日差しに照らし出される大海原が広がっていた。しばらく驚きのあまり息ができず、混乱のままに俺は見開いた両目から涙を流していた。
「ここ……ここは、どこだ?」
 水だ。水。沈む。溺れる。水は、嫌いだ。船上に居るのに溺れているかのように苦しい。俺は思わず喉をかきむしる。悲鳴を押し殺して、浅く、速く呼吸をする。
 下を向けば、硝子の向こうに海が、海中が見えて。その奥で、深い水の中で何かが苦しげにもがいているのが……見えて。
 それは10歳の京の顔で。

 声が聞こえる。
―――苦しい。苦しい。助けて。たすけて。かえりたい。
 それは記憶の奥底に閉じ込めていた声。あの日聞いていた。聞こえていた。聞こえていたのに聞こえないことにした声。
 京はずっとあの箱の中から俺に助けを求めていたのに、俺はその死の瞬間まで、声に応えることすらしてやらなかった

「大丈夫ですか?」
 現実で声をかけられ、喘ぐように「船酔いです」とやっとのことで返答する。

 溺れていたのは、あの日の京だ。脳だけになった京は、助けを求め続け……誰にも気づいて貰えないまま死んだ。
 俺は、声が聞こえなくなったあの缶を京の家の倉庫に放置されていた金庫に入れて、自分を守るために忘れ去ったのだ。
 俺が怖かったのは水じゃない。友を見殺しにしたという事実。その死を都合良く忘れ去った罪悪感。

 呼吸が落ち着いてゆく。
 気がつけば、ここは海中が見える観光船上で、俺は分厚いアクリル板に映る蒼白になった俺自身……京の顔を見ていた。
 無論海底に溺れる人などおらず、きらきらと輝く魚の群れが大きな生き物のようにうねっていた。
 視線を上げれば真っ青な海が果てなくどこまでも広がる。潮風に抱かれて、俺はずっと海面を眺めたまま波の音を聞いていた。
 喉の奥が痛む。涙が溢れてくる。しかしもう息苦しさは感じなかった。


※※※※※※※※※


 その日の【脳内会議】で、俺は旅行の一番良いところをかっさらった上写真の一枚も撮ってこなかった件について京に謝り倒していた。
「悪かったって。あまりに綺麗でさぁ、写真撮るどこじゃなかったんだわ」
「まあ、いいよ、そんな事は別に」
 京は割とあっさり許してくれ、こんなことを言う。
「迅、お前の部屋のカーテン開けてみてくれよ」
 言われるままに部屋の奥のカーテンを引いてみると、俺が今日眺めていた青い海そのものが広がっていた。驚く俺に、京は訳知り顔で笑うのだ。
「やっぱり思った通りだ。今日ツーリングで行ったところ」
 言って地図アプリを広げてみせる。『三崎港』とあった。
「港? なんでまたそんな所?」
「このベランダ、想い出が見えるって話はしたことあるよな」
 したかもしれない。俺は曖昧に頷く。
「過去しか見えないなら、過去を増やせば良いんじゃないかと思って」
 やっと分かってきた。
「あー、つまり、DVDしか観られないなら、観られるDVD増やそう、的な?」
「そう。上手くいったな。さて、次はどこへ行こうか」
「アッタマいいなぁ、お前」俺は驚きと感心のあまり、思わず最高に頭の悪そうな賞賛をしてしまう。
 京は楽しげに、今度は思い切って遠くまで行こう、一人分の旅費で楽しめるぞ、なんて言い出していた。
 驚いた。「……お前って、意外と前向きなのな」同時に、嬉しくなった。
 京はくすぐったそうに笑う。「何だよ、今更」
「お前がいてくれて良かったって話! そうだ。お前明日予定ないだろ?」
 スマホで京が設定してくれた共用の予定表を確認する。互いの活動時間が被らないように管理した方が良い、と始めたのだ。
「ああ、今日一日もらったから開けた」
「できるだけ、明日俺に譲ってくんねぇ?」
「いいよ。どこ行くんだ?」
 京の何気ない問いかけに、俺は一瞬迷った。
「……家族に逢いに行こうと思って。だから、あー、頼む」
 こう言えばきっと分かってくれる。あの日、一緒に生きようと決めた日、ヤツに背を向けて金庫を確認したときと同じように、俺のプライバシーを信じて守ってくれる。
 京のことならよく分かる。何しろ……もはや【こちらの京】との付き合いの方が【あの日の京】との付き合いよりもずっと長いのだ。
「ああ……分かった。疲れてるし、きっと明日は大丈夫だと思う」
 こっちはゆっくり休ませて貰うよ、と京は優しく笑った。


※※※※※※※※※


 翌日俺は数年ぶりに渡川家に向かった。そもそも海野家が今どこに住んでいるかなんて俺には知りようもないし、今更調べる気もない。
 しかし京にはなにも嘘はついていない。俺は海野迅を自称する渡川京としてここで数年を過ごしたのだ。
 数年を過ごした【実家】は、やっぱり俺にとっては親しい友人の家でしかなかったが、それでも京として訪問する程度の最低限の礼儀は守ったつもりだ。
 例の金庫にはまだ、あの缶がひっそりと入っていた。

 缶を持って墓地近くの河原へ行き苦心の末に工具で缶をこじ開けると、鼻をつく強烈な異臭が漂った。濁ったわずかな水の中に、溶けかけた灰色の塊が沈んでいた。
 人間は、脳だけになっても喋ったり苦しんだりするものだろうか。俺には分からない。やはりあれは抉られ詰められぶっ壊れた俺の妄想だったのかもしれない。それでも。
 小さな脳は驚くほどあっさりと燃えて、一握りの白い灰になる。
 俺は灰を渡川家の墓地に撒いた。ここならきっと気づいては貰えないにしろ家族に会えるのではないかと思ったし、俺が墓参りに来ても不自然ではない。……俺の悪い頭で思いつけるのは、これが精一杯だ。
 持ってきた線香を立て、小さい頃に一緒によく食べた駄菓子を供えた。念仏は……分からないから、悪いけど略。
 弔いと言うにはあまりにも簡素な儀式を済ませて、手を合わせ呟く。
「忘れていてごめん。ずっと閉じ込めていてごめん。また来る」
 一陣の風が細かな灰を舞い上げる。なんだかあいつが別れを告げた気がした。

 片付けて帰り際。あの山が見えた。そういえばタイムカプセルを埋めたのはこの近くだ。無邪気に未来を信じていた、その最後の日に埋めた幸せの欠片。
 あまり思い出したくはない場所ではある。しかし……タイムカプセルは、10年前の京が残した数少ない想い出だ。それに【今の京】も掘り出したがっていた。もしかすると。辛い思い出の場所であっても、いい想い出を作れば、辛いだけの場所ではなくなるかも知れない。
―――いずれ掘りに来るのも、悪かねぇか……
 ふと、そう思った。


 ……いつの間にか【二人の部屋】の金庫は砂のように崩れ落ち、中は空だったことが発覚した。京はそれについて不思議がり、残念がっていたが、話題に上がることはすぐになくなった。
 以来俺は悪夢をあまり観なくなった。色々なことを忘れることはできないにしろ、少しずつ、少しずつ受け止めて過去にしてゆく。

 俺は二度と忘れない。これからどれだけ記憶が穴だらけになろうとも、もう二度と零さない。10年前に友達だった京のことを。
 俺は未来を恐れない。これから先も、京が一緒に居てくれるから。




2021/8/12 くーな

トーク
渡川 京
迅さんが水が苦手になった理由、うわ~~~~なるほどな~~~~~~って思いましたね むしろ京はなんであんなに海に惹かれていたのか。
海野 迅
そういえば、確かに。
一足先に辛い想い出を楽しさで上書きしていたのかな?
今の京が確立するきっかけだったり?
渡川 京
あれ、故郷の思い出に惹かれていた可能性もあるなと思っています。東京から故郷へ向かって海を辿るルートなんですよね、京の旅路。
海野 迅
ほー


渡川 京
>三崎の港、瀬戸内の凪海、門司の海峡
海野 迅
京は迅が言うとおりなら、実家にちゃんと帰れていないですしね。
渡川 京
東海地方は?っていうと本筋関係ないとこでリズムが悪くなるのでパージされました。
海野 迅
ちなみに海中見られる船は三崎港でホントに乗れるらしいですねー
渡川 京
三崎港、いつぞやのオフのときに思い立って夜間突撃しただけで、一度ちゃんと行きたいと思ってたらコレで行けずじまいなんですよね
海野 迅
あらら
行けると良いですね
渡川 京
「京急が!三崎港の広告が!俺を!呼んでいる!!」って突撃して到着したら夜9時だった……
海野 迅
さすがに何もやってないなその時間。
渡川 京
ひとつだけ店がやってて夕食食べて帰りました。
海野 迅
お疲れ様です……
やっててよかった
渡川 京
よかった。ちょっとした気分だけ味わいました。
海野 迅
京は帰りたいのか……そうか……
そうだよなぁ……
渡川 京
帰りたいのかなあ…… って書いてて思いましたね……
海野 迅
家を出たの、きちんと自我が確立する前ですもんね
渡川 京
家を出たのは中学生になったときでしたっけ
海野 迅
そうですね
渡川 京
11歳のときから記憶があって、13歳くらいだから、京の家にいたころは、ほんとに自我が確立してようやく、って時期ですね……
海野 迅
里帰りしなきゃ。
ってのがタイムカプセル掘りになるかな。
渡川 京
ああ、確かに。迅さんがかつての京を葬って、弔って、ようやくちゃんと実家に帰れる状態になりそう。
海野 迅
それ以前はそもそも迅がタイムカプセル、というかあの土地へ帰りたがらなさそうです。
渡川 京
近寄りたくないですよね。真実が眠っている土地なのだし。迅さんが京を見殺しにしてしまった場所なのだし。
海野 迅
多分、ベランダの夕焼けの山とか見たくない風景ですよ。
渡川 京
第二段階で京の部屋の窓から見える風景でしたな。
海野 迅
タイムカプセル掘りに行こうという提案に、多分何度か理由つけまくって「ヤダ」と言っていると思います。
自覚はなくても本物の金庫があそこにあるの知ってるし。
渡川 京
「なあ、タイムカプセル、埋めたよな」「嫌だ」「今度、掘ってみないか」「嫌だ」みたいな会話してそう。
海野 迅
「俺の死体出たら嫌すぎるから行かない」
みたいなきっつい言葉を出して、京を引かせて、自己嫌悪してそう。
渡川 京
その語尾がきついことに、京は迅さんが何か隠していることを薄々知るんだろうなあ。
海野 迅
なるほどやりすぎたか。
策士策に溺れる!
渡川 京
普段混ぜっ返すことはあっても、そんな言い方をすることはないのに、っていうので察しちゃう
海野 迅
めんどくさいからやだー くらいなら信じて貰えたかも知れないのに!
渡川 京
なのにね。

海野 迅
(物件探しで)舞い上がっちゃう京くん可愛いなぁ!?
渡川 京
そして逆に迅さんに止められる
海野 迅
真実を知る前だって、たとえ妄想でも幻でも、二人楽しく生きていたんだ…
渡川 京
開始前の記憶にも、こういう楽しいひとときが色々とあるといいなと思うのです。あと、「迅がいたから生きてこれた」って言う京の、迅さんに支えられたシーンを描いてみたかった。
海野 迅
いいですねぇ、何気ない日常。
迅が突っ込みにまわらないといけなくなる京の暴走、勢い凄いんだろうなぁ。
えっ。…えっ? あれ、お前もしかしてマジで言ってる?、あ、ちょいまち、待てっておいいい!?
と狼狽えたことでしょう。
渡川 京
普段ツッコミ&穏やかな分、たまに暴走すると勢いがすごいの、楽しいと思います。狼狽える迅さんかわいい。
突然暴走するから迅さんも予測がつかないんだろうなぁ。
海野 迅
バイク持ってるから不思議でもなんでもないんだけど、水槽で京くんが旅行に積極的に行くようになった描写が本当に意外で。
あの旅行も良い意味での行動力と意思の強さの産物だと思うのです。
それがちょっと変なところででると、暴走になる、みたいな。
小説書いてて、本当に前向きなのは京の方なのでは、と思いましたね。
渡川 京
迅さんギャップが魅力的だけど、京もそういう意味だとギャップがあるのかもしれませんね。本編中だけだと見えてこなかったけど、意外に迅さんは抱え込むし引きずるし、京は前向きなんですよね。
京が自信をなくしたのは「容姿を貶されてから」という設定は当初からあったので、元々は結構前向きなのかもしれません。二人でいるとき、先に手を引くのは迅さんだったとしても。


独りの帰宅



 退院翌日。迅は自宅の扉をあれ以来初めて開こうとしていた。
「ものすごい状況になっているけど、驚かないでくれ」
 昼間に力尽きて交代した京の言葉に、あの崩壊しかけの脳内部屋見た後なんだから、何見ても驚かないと笑って答えたのを思い出す。
 扉を開けると、夕暮れの廊下に人間の住居からは漂ってはいけない臭いがほんのり漂った。
 扉をそっ閉じし、深呼吸をする。
 手に持ったドラッグストアの袋がやけに重く感じた。

 京は言っていた。
「悪い。疲れすぎていて片付けができなかった」
 本当にすまなそうに言っていた。他のことならともかく、片付けのことで京にあんな真剣な顔をされると怖い。怖すぎる。
 何度も謝る京の顔は引きつっていた。
「病み上がりだし気にすんなよ、俺にも責任があることだろ? お片付けはガッツリ寝た俺に任せろって」
 迅は馬鹿笑いしてみたが、どうしようもなく嫌な予感が背筋をこすり上げていた。

 扉を開けた迅は、思わず手から鍵を取り落とした。
 脱ぎ散らかされた服、異臭を放つゴミ箱、積み上がった皿、無数の開封されていない封筒(郵便受けにも溢れるほど突っ込まれていた)に、散らばった錠剤、こぼれた水。
 脳内の状況は一部、というかだいぶリアルだった。リアルは、想像以上に重かった。
―――これ気にしてなかったって、入院したときの俺たち、どんだけヤバかったんだよ……
 もしかすると鬱も発症しかけていたのではないのか。
 迅はめちゃくちゃの室内を見てため息をついた。
 そして知っていたとはいえ、自分の部屋のあるべきところがただの壁だったのは割とショックだった。
 別室に居たつもりだったのだ。それなのに、この家にあるのはダイニングキッチンと一室のみ。
―――扉開けんの怖。
 迅は色々想像してみて、京の、自分の部屋から目をそらした。
―――最悪漫画喫茶で……いや、無理はまずいか。ここに布団持ってきて寝るとか……

 古いラジオをつけると、無闇と明るい情報番組が流れている。なんとなく日常に戻ってきた気がした。買ってきたスポーツドリンクを一口飲み、迅は拳と掌をぶつける。
「おし、やるかぁ!」
 買ってきた特大ゴミ袋に、腐ったあれこれを片っ端からぶっ込んで封印。少しためらったが腐敗したものが溢れるゴミ箱に刺さっていた皿も、腐ったカレーが入った鍋も、文句を言いながら捨てた。こぼれた錠剤も少し勿体ないが廃棄。床のよく分からないシミは拭いて、山のような封筒は自分のと京のに分けて、チラシは捨てた。
 台所の水は問題なく出た。冷蔵庫の電源は入っていたが、中身はよく分からない古い食材ばかりだったので思い切って廃棄した。
 一時間動いただけで、部屋の隅にゴミ袋が積み上がった。
 つまりはこれだけ不自然さが、無理が、命を脅かすほどに蓄積していたということなのだ。
「うまくいっているように思えていたのにな……なあ、け……」
 迅は思わず声をあげた。だが答えてくれるルームメイトは、いない。
 毎日声を掛け合って起きて、それぞれの活動を始めて。夜は交代で食事を作って、たまに馬鹿騒ぎしたり趣味に没頭したりして。
 確かにいま思えば不自然なことや思い出せないことが多すぎる。時々友人に京のことを否定的に言われてむっとしたこともあるし、突然変なことを言い出して音信不通になるヤツもいた。
 変なのが自分たちなのだと気づかずに来たのが、まずおかしかったのだ。
 それでも……
―――楽しかったよな?
 きっと京は迷わずに頷いてくれるだろう。そう思えた。

 迅が昨日いれたと思っていた風呂は、どう考えても3~4日、下手するともっと経過した手触りだった。
 洗面所の鏡は割れてはいない。迅は深呼吸してから鏡の前に立った。
 意外にも、自分の顔が京の顔であることにはさほど大きなショックは受けなかった。それはきっとずっと前から知っていたことで、長い時間をかけて彼の中にしみ込んでいったことだからだろう。
 わずかに安堵しつつ、風呂に洗剤をぶっかける。三度くらいは洗わないと入りたくないと思えたので、あとで近所の風呂屋を探してみることにした。

 からっぽになった冷蔵庫に買ってきた酒と茶と甘味を入れ、食卓の椅子に座って残りのスポーツドリンクを飲み干す。ラジオからはいつの間にか音楽番組が流れていた。
 部屋の惨状はゴミを捨てるだけで随分マシになった。
「今日からここは、一人暮らしだからな……」
 二人分の食事を作ることもなく、無駄に食べ物を買ってきて腐らせることもなくなるだろう。
 それでも食卓の椅子は二つ残しておきたいと思った。
 ……そろそろ、覚悟を決めなければならない時間だ。自室を、見なければ。
―――心底、入りたくねぇ……
 京が居てくれたら……そう思うが、もう現実で京に頼るわけには行かない。迅はラジオを手に取ると、入らざるを得ない空間へ行くため、思い切って扉を開く。

 扉を開け放っても中は真っ暗だった。一瞬、あの空間で見た深淵のような闇を思い出し怖気だったが、当然のことながらそんなことはなく只電気が消えているだけだ。ラジオから聞こえる明るい曲に合わせてわざと大声でメロディーを口ずさみながら、電気を探す。
 電気を点けた。
 それは、見慣れているはずの、見知らぬ奇妙な光景だった。
 デスクにはスコアと機械関係の本が並び、デスクの上にはPC、その傍らにツールボックスと工作用のマット。壁にはポスターが貼られギターがかかっており、バイクの写真が貼ってある。本棚は迅の物と京の物に不自然なほど綺麗に二分されていた。
 それは確かになじみのある光景でありながら、見たことのない、不思議な光景だった。
「見えてなさすぎだろ、俺たち」
 思わず呟いていた。
 ここには最初から一人しか居なかったのだ。ルームシェアは妄想だった。そんな事実が否応もなく突きつけられた気がしたのだ。
 色々なことに慣れるのに、とても時間がかかりそうだった。
 それでも……
―――京と二人で生きていくためには、独りという現実に慣れなくてはならない。
「テンション下がるわー……」
 部屋が汚いとか、本が揃ってないとか、どうでもいいことに思えてきた。とにかく疲れ果ててしまった。
 荷物を置いて着替える。見慣れない部屋なのに、身体は違和感なく動いて必要な物を選び出すことができた。
「いいや、もう、明日考えよ……」
 なんとなく投げやりな気分になり、スマートフォンを充電器に差し込んだ、その時。
 充電器の横にメモを発見した。京の字で、簡潔なメッセージが書いてあった。
 それを見た迅の視界が不意にぼやける。
「あいつめ……」
 視界の不良が収まるまで寝るわけに行かない。迅は寝るのをやめて、少しの間だけ部屋の掃除を続けることにした。

『おかえり ありがとう』
 二人は一人になったが、けっして独りではないのだ。




2021/8/15 くーな


壊れた日




自分が、京が映った写真を見て、「こんなことあっただろうか?」と首をひねる。
そんなことは最近は割としょっちゅうだ。
物忘れが激しい。聞いた話を覚えられない。誰から聞いた話か分からない。
たまに鏡を見たとき、自分が誰なのか分からなくなる。
以前からあったそんな忌々しい空白が、日を追うごとに多くなって行く。
蟲が喰うように、俺の、俺たちの脳と心は穴だらけになって、ある日ぼろぼろに崩れ去ってしまう。

そしてごく希に。
蝕まれた記憶の穴の底に俺が知らない【想い出】が見えることがある。
鏡を見つめて怯える幼い子供。
子供は頭に怪我をしていて、真っ青だ。
鏡には子供自身と、もうひとり少女が映っている。
とても懐かしい気がするが、誰だっただろう。
……思い出せない。
第一、この記憶は【どちらの】のもなのだろう。
あのときの【おれ】は、誰だったのだろう。
隣にいるのは、誰だっただろう。
ぽっかりとあいた穴の向こう、俺は深い闇の奥を見つめている。

俺は迅。海野迅。今はそれがはっきりと分かる。
鏡に映るのが俺ではなく京の顔だったとしても、俺は俺だ。


-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-


舞がまだ実家にいた頃、まだ小学生の弟がいた。
隣の家に住む渡川京と、よく遊びに行っていた。
しかしある日の夕方、迅は帰ってこなかった。
数日後に夜遅くになって体中泥にまみれてふらふらと歩いているところを保護された京は、頭から血を流し虚ろな目をしていた。
京は奇妙な金属筒を手にしており、親しげにそれに話しかける。それを絶対に手放そうとせず、取り上げようとすると大声でわめいて暴れた。
何より奇妙なのが、彼が海野迅を自称していることだった。
どうやらとても恐ろしい体験をしたのだろう、と大人達は理解した。きっと山で何らかの事故に遭い、一人だけで逃げてきて、その過程で心が壊れてしまったのだろうと。
それは舞自身も例外ではない。
弟はもう戻ってこないのではないのか、そんな嫌な想像をしてしまうのだ。
京は数日入院したが、奇妙なことに頭には大きな傷があり、それは既に縫合されていた。そんな大怪我をしてこともないというのに。

「姉ちゃん」
帰ってきた京は、まるで迅みたいな言い方で舞を呼んだ。
「どうしてみんな俺たちを変な目で見るんだろう?」
舞の中にはいくつも返答が浮かぶ。
『それは、あなたが京なのに迅だと言っているから』
『あなたが京なのに、迅の部屋にいるから』
『何が起きたか全然話してくれないから』
『迅がどうなったのか、教えてくれないから』
『あなたが変な筒に話しかけるから』
『迅はどうしたの? どこに行ってしまったの? 迅は……生きているの?』
そのどれも口にすることなく、舞は「わからないよ」と困ったように笑った。
そんな質問は色々よく分かっている大人がすべきことで、不安定になっている哀れな少年を、自分のような子供が追い詰めるべきではない。
その程度の分別はつく年齢だったからだ。
京は不安を瞳にたたえたまま、手にした円筒に「わけがわからないよ」と途方に暮れたように話しかけるのだった。
舞はたまらず彼を残して立ち去る。
『わけがわからないのはこっちなのに。早く落ち着いてきちんと事情を説明して欲しい。今、もしかしたら迅は独り、山の暗がりで死にかけているかも知れない』

退院した京は自分のことを迅だと思い込んでいたし、恐るべき事に顔以外はまったくそのように見えた。
だから、混乱している彼を落ち着かせるために、なるべくショックを与えないために、彼を海野家に泊め、様子を見ることになった。
数日。京は迅として過ごした。恐ろしいほど、見た目と声以外は迅だった。相変わらず円筒に、親しい友人にするように笑顔で話しかける。
母は自分の息子が戻ってこないことと、隣の子が自分の息子であるかのように振る舞う状況に耐えきれず、病んでしまった。
父はいまだ戻らない息子が心配なあまり、京を強い口調で問い詰めるようになった。
京はそんな状況に耐えられなくなったのか、子供部屋に閉じこもってずっと円筒に話しかけ続ける。
舞は何もできずに、何をしたらいいかも分からずに、部屋の隅で少年を見つめていた。
円筒に楽しげに話しかける、誰かも分からない少年を。

そして……海野家が限界に達し、京が自分の家に戻ることになったその前日の夜中のことだった。
舞は物音で夜中に目を覚ました。二段ベッドの下の段で寝ていた京がトイレに行ったのだろう。
自分もトイレに行こうと部屋を出たところで、舞は息を呑んだ。
まるで京が幽霊か何かのような真っ青な顔で、立ち尽くしていた。もともとそう筋肉質というわけではない身体は、事件以来更にやつれてほっそりとしてしまっており、まるで骸骨のようだ。
「ど、どうしたの?」
恐る恐る声をかける。
京は震えていた。手にあの円筒を抱えたまま。震える声で呟いた。
「京が、変なんだ。変なことばっかり言ってるんだ」
舞は、ぼそぼそと途方に暮れたように喋る京の声とは別に、誰かのうめき声のようなものを聞いた。
「ずっと、変なんだ。病院に、連れて行かないと」
途方に暮れたように呟く声の合間に聞こえる、苦悶の声。くぐもった、かすれた、質の悪いスピーカーを通したかのような、耳障りな音。
「たす……けて……くるし……」
それはあきらかに異常だった。
同時に聞こえるふたつの京の声。
自分に語りかける声と、途切れ途切れに聞こえる苦痛のうめき声。
舞は恐れた。訳の分からない状況を、狂ってしまった少年を目の前にして、一体どうしたらいいか分からなかった。
京が、ほっとしたような顔で見上げてくる。弟が、迅が、困ったときによくそうして相談しに来た。
この子は迅ではないのに。迅の行方を知っているかも知れないのに、語らず訳の分からないことを言い続けて。
そう思った瞬間、舞は口を開いていた。
「いい加減にしてよ。京ちゃん」
こちらに踏み出そうとした京の足が止まった。
「ちゃんと思い出してよ。迅がどこに行っちゃったのかわかるの、京ちゃんしかいないんだよ」
京は、息を呑んだ。
舞は何か取り返しの付かないことをしているという自覚はあった。だがもう止められなかった。
「迅はどこ? 生きているの? まさか……死んじゃったの?」
その言葉を聞いた京は、目を見開いた。凍り付いた。半開きになった唇は震え、息もまともに吸えないほどに動揺していた。京は廊下の突き当たりに後ずさってゆく。
「違う、俺は、あれは、俺じゃ……」
円筒を抱いたままでじりじりと後ろにさがる。その背が洗面台に当たった。
「姉ちゃん、俺は、生きてる……俺は……俺は、生きてて、俺は、迅……」
「ちゃんと見てよ」
舞は息苦しさに耐えきれず、彼が背にしている鏡を指さす。
「キミは迅じゃない、京ちゃんだよ……」
少年は、蒼白だった。なにごとか呟きながらゆっくりと振り返り……そして、恐ろしい悲鳴を上げ、そして洗面台に置いてあった化粧品の瓶を鏡に叩きつけた。
そのとき。鏡と同時に何かが決定的に壊れる音を、舞は聞いた。
物音を聞きつけた父母が駆けつけてきて、抱きしめてくれたとき、舞は理由も分からぬままに泣いていた。
割れた鏡を呆然と見下ろす少年の瞳は、曇って空虚だった。

壊れてしまった少年の様子を見たからかもしれない。
両親は、戻らない息子を探すのを、早々に諦めてしまっていたようだ。京から逃げるように引っ越してしまい、そのままふるさととの関わりを断った。
消えてしまった迅のことは、棘のように家族に刺さって、呪いのようにじくじくと後悔や怒りや哀しみを吹き出し続けた。
舞が早くに家を出たのも、それに耐えられなくなったからだった。

『あの日、京ちゃんに何か酷いことを言ってしまった』
彼女には、それだけははっきりと、分かっていた。

たまに舞は思う。
あの時、別のことを言っていたら。
あの時、何も言わずに抱きしめてあげていたら。
あの時、あの子のことを、迅と呼んであげていたら。
何かがかわっていただろうか、と。

2021/11/27 くーな